平成13年 9月(金) 曇り のち 晴れ

 新幹線で京都へ来ました。
 京都から、電車を乗り継いで大阪府の四条畷市へ向かいます。
 四条畷駅前で昼食。

 四条畷駅から歩いて四条畷神社へ向かいました。
 最初雲が多ったのですが、だんだん晴れ間が見えてきました。
 少しずつ上り坂になってきました。


 四条畷神社へ着きました。 四条畷神社は、飯盛山の麓にあります。
 四条畷神社
四条畷神社
 四条畷神社は、1890(明治23)年、楠木正行以下、四条畷の戦いの死者を祀るため創建されました。
 南北朝時代、楠木正行は父正成の志を継ぎ、南朝の後村上天皇に仕えていました。
 1347(正平2・貞和3)年、楠木正行は室町幕府方畠山国清らを南河内に打ち破りましたが、幕府はこれに対し高師直軍6万を差し向け、こうして「太平記」に名高い四条畷合戦がおこります。
 四条畷とは古代条里の四条付近の田の小径のことで、東の飯盛山、西の深野池に挟まれたこの地は戦略上の要地でした。
 戦いは四条(大東市北条)から七条(四條畷市中野)のかけて展開されたようで、激戦の末、わずか3000の正行軍は敗れ、正行以下一族は自尽しました。

 神社に参拝します。
 蝉時雨が鳴いています。
 平日の金曜日のせいもあるのか、人はほかにいません。


 飯盛山
 四条畷神社から飯盛山への登山を開始します。
 飯盛山は、金剛山生駒国定公園に指定されています。
 木立の中を歩いていると、少し風もあり、涼しく、歩きやすいです。
 雨が降った後で、地面に水分があるからでしょうか。
 四条畷神社から続く遊歩道は、よく整備されています。
 道筋に、指標看板もあります。
 
 途中、林の切れ目から、大阪の街並みが見渡せます。眺めがよいです。
 尾根道に桜並木があり、桜が咲く頃は、さぞかしきれいでしょう。
 休憩所ありました。ここからの見晴らしがよいです。
 また、登り始めますが、アップダウンが激しく、日頃の運動不足で、かなりきつくなってきました。

 飯盛山の最高地点にある、小楠公(楠木正行のこと)銅像前に到着。
 ここまで、登るのに40分かかりました。しばし休憩。
 小楠公銅像がある場所は、区域が大東市になっています。
 飯盛山は生駒山の北西にあたり、頂上部に南北約1kmにわたって戦国末期下剋上により畿内の覇者となった三好長慶の飯盛城跡がありました。
 FM放送施設のある平地は千畳敷とよばれ、長慶の平常の居館があったといいます。
 その北方、楠木正行像の立つ標高314mのピークが最高で、高櫓(たかやぐら)ともよばれます。眺望が優れ、ことに大阪平野を一望の下に見渡せます。
 1560(永禄3)三好長慶が飯盛城に入城。それから数年間、飯盛城は畿内近国の政治の中心となりました。
 三好氏は阿波国三好郡の土豪で、守護細川氏の家臣として勢力を伸ばしました。長慶は父元長を継いで覇を競い、将軍足利義輝を擁して相伴衆(管領に次ぐ重職)となりました。
 1564年、長慶は病死し、4年後には織田信長が上洛を果たして、日本最大の山城といわれた飯盛城もその歴史を閉じました。

 休憩後、出発。FM放送所に到着ました。
 山の中の道を大東市側へ下りてきました。
 道はあるが、細い道です。
 16:00すぎ 住宅街へ下りてきました。大東市北条6丁目。
 そこから、四条畷市へ向かいます。

 四条畷から京都へと戻り、この日は京都市内に宿泊しました。