平成13年 9月(月)小雨

10:35 京都駅に到着しました。
 駅ビルのなかで、コーヒーを飲みます。

 京都駅から電車で亀岡駅へ。
 亀岡駅に到着。勘違いして、一駅先へ来てしまいました。
 また、電車で馬堀駅へ戻ります。
 馬堀駅に到着。篠村八幡宮へ目指し、歩き始めました。



 篠村八幡宮
 少し、雨が降っています。
篠村八幡宮  篠村八幡宮は延久3年(1071)、源頼義が、河内国(大阪府羽曳野市)応神天皇陵に鎮座の誉田八幡宮から祭神を勧請し創建されたと伝えられます。
 源頼義から10代末裔の足利尊氏は、元弘3年(1333)4月29日、篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じて10日間滞在の後、首尾よく六波羅探題を滅ぼして建武中興のきっかけをつかみました。また、後醍醐天応と決別後の建武3年(1336)1月30日、一旦占拠した京都攻防戦で破れ、2月1日まで篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進、再起を祈願して九州へ逃れました。敗走後1ヶ月で九州全土を平定、5月の湊川の合戦で決定的な勝利を得て室町幕府開幕のきっかけをつかみます。
篠村八幡宮  尊氏にとって、二度の重大な岐路で篠村八幡宮に祈願を込めて大願が成就していることから、尊氏自身貞和5年(1349)8月10日にお礼に参拝しています。尊氏を始め歴代将軍家から多くの荘園の寄進を受け、室町時代を通じて大いに栄え、盛時には社域は東西両村に及びました。
足利高氏旗あげの地の碑  後、応仁の乱や明智光秀の丹波平定の戦火によって社殿や社領の多くを損失しました。
 寛永年間(1624〜43)亀山城主菅沼定芳によって本殿改修がなされ、以来、源姓亀山城主の直轄神社として歴代藩主による庇護を受けました。


矢 塚

矢塚 1333(元弘3)年4月27日篠村八幡宮に陣を張った足利高氏は29日に戦勝祈願の「願文」を神前で読み上げました。
 高氏が願文に添えて一本の鏑矢(昔の合戦開始の合図として双方が最初に敵側に射込むうなり音を発する矢)を奉納したところ、弟の直義を始め吉良・石塔・仁木・細川・今川・荒川・高・上杉以下の武将達が我も我もと上矢を一本づつ奉献して必勝を祈願し、社檀には矢が塚のようにうづ高く積み上げられました。(太平記)
 この矢を埋納した場所が「矢塚」で椎の幼木が植えられました。樹齢660年程を経ましたが、昭和9年の室戸台風で倒れ、現在の椎は二代目です。

旗立楊

旗立楊  元弘3年(1333)4月27日に篠村八幡宮一帯に陣を張った足利高氏は、29日にかけて「軍勢催促状」を髻(もとどり)に結わえた密使を近国はもとより、全国の有力な武将に派遣して参軍を求めました。
 4月29日に社前で戦勝祈願の「願文」を奉納して旗あげを行って以後、旧山陰街道(横の小道)に面して一際高く聳え立つ楊の木に、足利氏の家紋である「二引両」印の入った源氏の大白旗を掲げて高氏のもとに駆け付けてくる武将達に高氏の本営の所在を明らかにしました。(「梅松論」)。この源氏の大白旗を掲げた楊の木が旗立て楊です。
旗立楊の枯木  5月7日までの間に、高氏の軍勢は2万3千騎に増え、5月7日を期して京都に攻め入り六波羅探題を滅亡させました。(「太平記」)。
 楊は、柳とは樹種が異なります。楊の寿命は百年程度しかないが、挿し木により容易に活着します。この楊は昭和の初期に挿し木したもので、足利高氏の時代より6・7代を経て引き継がれてきたものです。
 出発すると、小雨が、強くなってきました。

 馬堀駅に到着
 馬堀駅から電車に乗ります。


 太秦駅に到着。歩いて、広隆寺に向かいます。
 小雨が降っています。

 広隆寺

 広隆寺は渡来系の豪族・秦氏の氏寺でした。
 「日本書紀」によると秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わったと伝えられ、その仏像が名高い弥勒菩薩です。国宝第1号に指定されています。
 講堂は重要文化財。1165年の建築です。

 広隆寺の霊宝殿を見学 入場料700円

 歩いていると、晴れ間がでてきました。


 千本釈迦堂に到着。

 大報恩寺
 千本釈迦堂の名の方が一般的な大報恩寺は、瑞雲山と号し、京都の旧市街地で最古の建造物という国宝の本堂を有し、おかめ塚などの伝説もあります。
 承久3年(1221)に義空によって創された。堂の建築時、大工の棟梁高次が柱の寸法を切り誤って困っていたところ、妻の於亀(おかめ)が枡組を用いることを教え、無事竣工させることができました。於亀は女が夫の仕事に口をはさんだことを恥じて自害しました。高次が冥福を祈って建てた宝篋印塔をおかめ塚という。それから、大工の信仰を得るようになります。上棟式のお多福の面はこれに因んだとされています。
 境内の霊宝館には、木造六観音菩薩像など3件の仏像のほか、北野経王堂一切経5048帖などが重要文化財として収蔵し公開されています。
 霊宝館も見学。「六観音像」「十大弟子像」の重要文化財が揃っています。
 本堂を見学。
  応仁の乱で、西軍の本陣になったところ。柱に、刀の切り跡があります。

 霊宝殿を見学。少しかび臭いです。

 他に見学者がいなくて、20分くらい一人でいる時間がありました。
 六観音、釈迦10大弟子像、足利義満が乗っていた牛車の車輪などがあります。
 重要文化財の仏像が多いです。


 バスに乗り、京都駅へ向かいました。
 小雨が降ってきました。