平成13年9月(火)晴れ

9:10 ホテルからタクシーで京都駅に到着しました。
 電車に乗り、京都から大阪駅へ向かいます。
 大阪駅へ到着。天王寺駅で近鉄線に乗り換えました。
 駒ヶ谷駅に到着。歩いて杜本神社へ向かいます。



 杜本神社

 杜本神社は駒ヶ谷の宮山の頂上近くに位置し、現在の祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主命(ふつぬしのひめかみ)とされていますが、平安初期には百済宿弥永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏を祭る神社でした。
 祭礼は、春が4月8日、秋が10月7・8日で、後醍醐天皇や後村上天皇の書状、人身獣面の「隼人石」などが残されています。
 境内に、楠木正成の首塚があります。

楠木正成の首塚

南木神社


近鉄線で、藤井寺へ向かいます。


 葛井寺

 葛井寺は、7世紀代に葛井氏(ふじいし)の氏寺として建立されたと考えられます。
 南北朝時代には後醍醐天皇・後村上天皇も帰依され、楠木正行公が1347(正平2)年自軍7百余兵を率いて当寺に屯し、細川顕氏7千の兵を破った「藤井寺合戦」の時には、大般若経6百巻を書写して、守刀一振、非理法権天の菊水旗を奉納し戦勝祈願を行っています。
 本尊は脱活乾漆造の千手観音菩薩坐像で、天平時代の代表的な仏像として国宝に指定されています。

旗掛けの松旗掛けの松

 南北朝時代の動乱期、楠木正成公が当本尊に大般若経6巻写経と守刀等を奉納し戦勝祈願しました。
 またこの松に非理法権天の旗を掛け三人の子息(正行、正時、正儀)にこの松葉(三葉になっている)のように三人が一つになり武士道を忠誓させました。これ以来この松葉を持つと力がつくと珍重されてきました。

東大阪の往生院へ向かいます。
鶴橋で乗り換え、瓢箪山で下車。
歩いて、往生院へ向かいました。


 往生院

 往生院は、岩滝山往生院六万寺と号し、1037(長暦元)年頃、安助上人が創建したといわれています。
 東方方約200mの山地の平坦部で、平安〜室町時代の瓦が出土し、金堂跡(府史跡)と伝え、聖武天皇の勅願で745(天平17)年、行基が創建した六万寺の一坊ともいいます。
   

 往生院の本堂には、楠木正成・正行の位牌を安置し、入口石段の左の囲い内に正行の墓と伝える石碑があります。
 この地は、南北朝時代の四条畷の合戦が始まった所といわれ、南朝方の正行は往生院に本陣をおき、四条畷にいた北朝方の高師直の本陣を急襲したが、逆に討ち死にしたので、黙庵禅師がその首を持ち帰り、ここに葬ったと伝えられています。正行討死の地を往生院とする説もあります。 

 ほこらの中の左手の五輪塔が正行のもので、右奥の石碑は正成三百年祭に関白・鷹司信房により建立された正成の供養塔だそうです。
 ほこらの左手に、楠木正行の銅像が、若武者姿もりりしく建っています。
 往生院六万寺は、観光寺院ではないので、小楠公・楠木正行墓所へ参拝するときは、事前の申込が必要です。
  往生院六万寺:0729―81―2597


歩いて、瓢箪山駅へ。
電車に乗り、一つ先の枚岡駅へ

 枚岡神社

枚岡神社 【所在】東大阪市出雲井町7−16。
近鉄奈良線枚岡駅下車、徒歩5分。

 枚岡(ひらおか)神社は生駒山地の峰の一つ神津嶽(神の降臨する山の意)から西にのびる尾根に鎮座しています。
 枚岡神社は、枚岡の神である天児屋根(あめのこやね)命と比売(ひめ)大神の2神が神津嶽に祀られていたが、650(白雉元)年に中臣(なかとみ)・平岡連(ひらおかむらじ)が現社地に移し、778(宝亀9)年経津主(ふつぬし)命・武甕槌(たけみかづち)命を加えて4神を祀った河内国一の宮です。
 奈良県の春日大社は和銅年間(708〜715)に枚岡神社の天児屋根命と比売大神を勧請した神社であったため、枚岡神社は元春日平岡大社と称され、中臣(藤原)氏の繁栄とともにいっそう尊崇されました。859(貞観元)年、正一位を贈られ、1871(明治4)年、官幣大社となりました。明治まで神官は中臣氏の子孫という水走氏が代々勤めました。

楠公首洗いの井戸  神社の南方に枚岡梅林がひろがっている。もと神宮寺(神護寺)があった所で、明治の神仏分離令で廃寺になった所に、地元の有志によって紅白の梅が植えられ、みごとな梅林になっています。
 このあたりは四条畷の合戦の戦場となった所だそうで、枚岡神社拝殿から、梅林にむかって歩いていった、梅林の入口に「楠公首洗いの井戸」があります。現在は井戸はコンクリート固められています。