平成13年10月 (土) 晴れ

新幹線で京都へ。10:29京都着
近鉄特急で、奈良へ向かいます。

奈良から、JR桜井線、近鉄線に乗り継ぎ、室生口大野駅へ。
室生口大野は、ひなびた静かな駅です。人が少ないです。
大阪の友人Tに電話して、夕方会う約束をしました。Tが奈良に来てくれて会うことになりました。

奈良交通バスで室生寺へ出発。駅から遠ざかると、人家はなく、山の中を走って行きます。

13:40 室生寺へ到着。
みやげもの、飲食店が建ち並ぶ観光地です。
ここで昼食を食べます。

歩いて室生寺へ。
川にかかる、朱塗りの橋を渡ります。


 室生寺
 奈良時代の末、興福寺の僧賢憬(けんけい)、その弟子修円によって創建されました。一時衰えたが江戸時代5代将軍綱吉の母桂昌院の尽力で再興され、真言宗となりました。女人禁制の高野山に対して、女人も参詣できる「女人高野」の名が生まれたのはそれからです。シャクナゲ、桜、紅葉の美しさで名高いです。

室生寺


北畠親房の墓・五輪塔
 本堂の西側の林のなかに五輪塔があります。 室生寺・金堂
 一辺3.95mの基壇の上に石造五輪塔がある。古くからこの塔は、『神皇正統記』の著者として知られる北畠親房の墓と伝えられています。
 1916(大正5)年、確認のため発掘調査が行われたが、その結果、五輪塔内部から、ていねいにつくられた木製五輪塔が発見されました。さらにこの木製五輪塔の下2輪(地輪・水輪)の内部がくり抜かれ、水晶製五輪塔が納入されていたこともわかりました。
 また、塔下からは納骨壺が見つかり、なかに水飴状の液体と少量の骨片のあることが確認されました。結局、この調査では埋葬者を確定することはできなかったが、墓の形式から考えても室町時代初期を下らないものと評価されています。

 なぜ、北畠親房と室生寺が関係あるのか、御影堂の隣の建物にいらっしゃった、お寺の方にお聞きした。昔、この地が、北畠親房の支配地であったらしいです。三重県美杉村に近く、関わりがあるとのこと。五輪塔が、親房の墓であるという言い伝えであり、確証は無いとのことでした。
 看板も無いので、お寺に来た方は北畠親房の五輪塔に気づかずに素通りして行きます。


北畠親房の墓・五輪塔 金 堂(国宝)
 単層寄棟造り、柿(こけら)葺きの屋根をもつ建物。平安初期に建ち、その後幾度か修理されたました。
 国宝の釈迦如来立像、十一面観音立像、重文の文殊菩薩立像、薬師如来立像、地蔵菩薩立像、十二神将像などがずらりと並んでいます。


本堂 弥勒堂(重文)
 金堂の左手に建つ単層入母屋造りの建物です。鎌倉期の建築で、中には重文の弥勒菩薩立像、国宝の釈迦如来立像が安置されています。
 いずれも、平安初期の貞観仏で一木造り、すばらしい仏像です。



五重塔
本 堂(国宝)
 金堂の一段上にある単層入母屋造り、檜皮葺きの建物。
 室生寺中最大の仏像で、如意輪観音が安置されています。





五重塔(国宝)
 高さ16.7m、屋外に建つ五重塔ではわが国最小の塔です。室生寺でも最も古いものです。以前、大風により木が倒れて、一部塔が壊れましたが、速やかに復旧されました。







 五重塔から、奥の御影堂まで登っていきます。階段がきついです。

御影堂 14:50 出発


 バスに乗り、室生寺大野駅へ。
 近鉄線・飛鳥駅に到着。
 飛鳥を歩きます。もう夕方になっていました。
 欽明天皇陵、鬼の雪隠・俎(まないた)、甘樫丘と歩きました。

19:00 近鉄奈良駅に到着し、大阪に住んでいる大学時代の友人Tと待ち合わせ。
 JR奈良駅近くの居酒屋で飲みましだ。久しぶりで懐かしいです。
 それから、ホテルフジタ奈良の1Fのバーでまた飲んだ後、Tは大阪に帰っていきました。