平成13年10月 (月) 曇り のち雨

近鉄線で、吉野神宮前駅へ向かいます。歩いて、吉野神宮へ。
坂道を登ってゆきます。暑い、汗をかいてしまいました。



 吉野神宮
 吉野神宮 吉野神宮は後醍醐天皇を祀り、1888(明治21)年に創設されました。御神体は後村上天皇が自ら刻んだと伝える後醍醐天皇の尊像を吉水神社から移したものです。今の社殿は1928(昭和3)年に竣工しました。建武新政の事績をたたえ、これを昂揚した当寺の皇国思想を反映した大規模な神社で、昭和の神社建築を代表する近代的神社建築の見本のようです。

 坂がきつい道を歩いてゆきま。



 村上義光の墓


 村上彦四郎義光は信州埴科(さらしな)の人で、早くから大塔宮護良親王に従って北条幕府と戦いましたが、元弘3年(1333)吉野城が落ちたとき、大塔宮の身代わりとなって蔵王堂前二天門の高やぐらの上で腹かき切って果てました。その義光の首を検分した北条方が、大塔宮でないことを知り、ここに捨てられたのを、里人がとむらって墓としたものです。
 なお義光の子義隆も、父とともに死のうとしたが、大塔宮を守って落ちのびるようにさとされ、高野山に向かう途中追ってきた敵と戦い、ついにここから2kmほどへだてた山中で討死にしました。


 金峯山寺
蔵王堂
金峯山寺・蔵王堂  この建物は、金峯山修験本宗本山金峯山寺本堂蔵王堂といいます。
 寺伝によると、白鳳年間に修験道の開祖、役小角の創建といわれており、平安、鎌倉時代を通じて隆盛をきわめました。
 天禄2年(972)完治7年(1093)嘉禄元年(1225)文永元年(1264)に焼け、それらの時には強い信仰心にささえられて、早く復興しましたが、南北朝時代の正平3年(1348)1月28日、足利幕府の高師直の兵火にかかったときには、実に107年を要し、康正元年(1455)にようやく再建されました。
 その後、天正14年(1586)六たび焼失し、天正19年(1591)に成ったのが、現在の建物です。
 重層入母屋造り檜皮ぶき、棟の高さが34mもあり、東大寺大仏殿に次ぐ古建築として、吉野山における扇のかねめの役割を果たしています。

四本桜
大塔宮御陣地の石碑 蔵王堂正面の右の柵に囲まれた中に、桜の木が四本植えられていますが、ここは元弘3年(1333)閏3月3日、後醍醐天皇の第二皇子、大塔宮護良親王が北条幕府の大軍に攻められて、吉野山にたてこもられたとき、ここ蔵王堂を本陣とし落城に際していま四本桜のある前庭で、最後の酒宴を開いたところです。後世ここに桜を植え、大塔宮後陣地として記念されている所です。
 


 吉水院
 宝物殿を見学。

吉水神社

 元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役の行者が創建したものと伝えられ金峯山寺の僧坊であったものが、明治8年寺号を廃して吉水神社と改め、後醍醐天皇、楠木正成・吉水院宗信法印を合祀しています。
 当社は、吉野の歴史を代表する殿堂で文治元年(1185)源義経が兄頼朝の迫害を逃れて愛妾靜御前、弁慶らと共にここに身をひそめ、後世にその悲恋物語を伝えています。
後醍醐天皇玉座 また、延元元年(1336)後醍醐天皇が京の花山院を逃れて、吉水院宗信の援護のもとに当社を行宮とされ、血涙の歴史を記された南朝の大舞台でもあります。降っては文禄3年(1594)豊太閤が当社を本陣として大花見の盛宴を催し、天下にその権勢を示したのは有名です。したがって当社に所蔵する宝物はすこぶる多く百二十数点を展観しており重要文化財の宝庫といわれています。

13:10 出発。雨が降ってきました。

 勝手神社は、焼失していました。平成13年9月27日焼失したとのこと。

 坂がきついです。


 如意輪寺

 宝物殿を見学しました。

 

後醍醐天皇陵
後醍醐天皇陵 専横の北条幕府を倒し、建武中興をなしとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸以来4年間、吉野の行宮に過ごされました。延元4年(1339)病床に就かれ「身は仮(たと)へ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と都にあこがれ、遂に崩御されました。
 天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、如意輪寺の塔尾陵です。

楠木正行髻塚
楠木正行髻塚 後村上天皇の正平2年(1347)12月楠木正行公の一族郎党143人が、四条畷(大阪府)の決戦(足利の武将高師直との戦)に向かうにあたり、吉野の皇居に天皇と今生の別れを告げ、先帝の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で髻を切って仏前に奉納、過去帳に姓名を記し最後に正行公は、鏃(やじり)をもって御堂の扉に
   かえらじとかねて思へば梓弓
   なき数に入る名をぞとどむぬる
と、辞世の歌を残して四条畷に向かいましたが、衆寡敵せず、弟正時と共に最後をとげました。
 現在の建物は、約350年前の再建で、正行公の歌をとどめた扉は寺宝として、宝物殿に保存されています。

 雨が止んできました。


 吉野山を下り、吉野駅に到着しました。
 近鉄線 阿倍野橋行きの急行に乗ります。

 また、雨が降ってきました。

 奈良駅から京都駅に向かい、京都から新幹線に乗って東京へ帰りました。