平成13年11月 (土)

新幹線で京都へ来ました。
京都駅から、近鉄線に乗り、東寺駅へ。
歩いて、東寺へ向かいます。

 東寺の五重塔東寺
 東寺は、古義真言宗東寺派の総本山。正しくは教王護国寺といい平安京造営の際、朱雀大路(今の千本通)の南端・羅城門の東西に建立された官寺の一つでした。
 国宝の五重塔、金堂、大師堂などや重文の建物も多く、密教美術史上貴重な遺構が多いです。
 南北朝時代には、しばしば戦乱の際の要地となり、また天皇や公卿の避難場所となりました。後醍醐天皇は配流地の隠岐から帰洛すると、まず東寺に入りました。
 次いで光厳天皇を奉じた足利尊氏もまず東寺に陣を張りました。このため一時荒廃したが、着実に再興がはかられています。
 しかし1486(文明18)年の徳政一揆では、東寺にたてこもった一揆勢により堂宇の多くが焼き払われてしまいます。その後、織田信長・豊臣秀吉らが再興に尽力し、しだいに寺観を整えました。


東大門 (不開門・あかずのもん) 鎌倉時代
東大門
 創建年代は未詳。現存の建物は建久9年(1198)、文覚上人の大勧進によって、再建ました。
 建武3年(1336)6月30日、新田義貞が決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて、危うく難を逃れることができた故事により「不開門」とも呼ばれています。のち慶長10年に豊臣秀頼が大修理を加えたものと伝えられます。

食堂(じきどう) 近代
食堂
 僧侶が斎時に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音像(現宝物館安置)と四天王像を建立。
 千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住しました。
 現在の伽藍は、昭和5年(1930年)12月21日焼失、昭和9年4月竣工しました。


今日は、新大阪のホテルに宿泊しました。