平成13年11月 大阪へ。晴れ。

新大阪から、電車を乗り継いで、住吉へ来ました。

 住吉行宮跡 (国史跡)
住吉行宮跡(国史跡)
 南北朝時代、後村上天皇が1352(正平7・文和元)年、大和の賀名生から住吉へ行幸のときの18日間と、そののち河内観心寺を出て1368年に没するまでの8年間、そして次の長慶天皇が翌年春まであわせて9年間、ここが行宮となりました。遺跡は5段の石段をそなえ、右手に府が建てた「史蹟住吉行宮跡」の碑があります。



 荘厳浄土寺(真言律宗・府史跡)
 旧住吉三大寺の一つで、白河天皇勅願寺として荘厳浄土寺の号を賜ったと伝えられるが、もとは平安時代の応徳年間(1084〜86)、住吉宮司津守国基が建立した津守氏の氏寺だといいます。住吉行宮の後村上天皇は、後醍醐天皇・後嵯峨天皇の霊を慰めるため2度にわたって行幸されました。境内に残る礎石は出土した古瓦とともに昔の荘厳さをしのばせます。

後村上天皇聖蹟の碑

住所:大阪市住吉区帝塚山東5−11



 定専坊(浄土真宗)

定専坊 楠木三代の墓

 石山本願寺ゆかりの寺で、浄土真宗中興の祖蓮如上人も立ち寄ったと伝えられています。境内の鐘楼の鐘はもと石山本願寺にあって、織田信長との戦いのおり早鐘を打ったものを当寺に移したといわれています。
 室町時代の建築様式を今に伝える諸堂は、楠木正成の孫正勝が、正成が3代覚如法主に帰依していたのを追慕して、この寺に隠棲したのを始まりとして、一門が檀家と協力して造営したといわれています。そのため、寺紋には「菊水」が使用されているといいます。
 なお、鐘楼前に楠木正勝から正盛・盛信にいたる楠木一族の墓が並んでいます。
楠木三代の墓

住所:大阪市東淀川区西淡路5−15



 水無瀬駅へ。歩いて、桜井の駅跡へ。

 史跡 桜井の駅

桜井駅跡 楠公父子訣別之所碑

 阪急京都線水無瀬駅を下りて、北へ向かうと前方にクスに覆われた森が見えます。
 ここが楠木正成・正行父子訣別の地として知られる桜井駅跡(国史跡)です。
 クスが茂る広さ約2800平方mの公園には、楠木父子をしのぶさまざまな石碑が建立されています。

楠木父子(正成・正行)の像
 南北朝の争乱を描いた「太平記」によると、1336(延元元)年、九州から上洛する足利尊氏の軍を迎え撃つために、わずか500余騎を率いて兵庫の湊川へむかった楠木正成は、西下の途中この桜井駅で11歳になる正行を呼び、今度の合戦は天下の安否がかかっている、汝の顔を見るのはこれが最後かと思うから、自分が討ち死にしたときは、天皇をお守りして、一族郎党とともに最後まで金剛山のあたりにたてこもって戦うように遺訓しました。そして父との同行を願う正行を振り切り、形見の菊水の刀を与えて涙をのんで分かれたといいます。
 昔から、この地は西国街道と淀川を渡って対岸の河内の樟葉(くずは)から高野街道へむかう交通の要衝でした。




 清水寺
 紅葉が、ちょっと盛りを過ぎたぐらいですが、まだ、きれいでした。










 京都駅から新大阪駅へ戻ります。
 新大阪駅から新幹線で東京へ帰りました。