平成14年 8月29日(木) 曇り ときどき 晴れ

京都発のJR特急雷鳥9号で、福井県敦賀市へ向かいます。
10:31 敦賀駅着。

駅の隣にある、敦賀市観光協会でレンタサイクルを借りました。ちょっと乗りにくい自転車でした。

自転車に乗って、気比神宮へ向かいます。

 気比神宮

 気比神宮は大宝2(702)年の建立と伝えられ、敦賀市民に「けいさん」の愛称で親しまれています。高さ11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つです。



 祭神は伊奢沙別命、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、応神天皇、玉姫尊、竹内宿禰の7座です。
 中世には越前一の宮として隆盛を極め、神領は越前・若狭・近江はもとより、遠く能登・越中・佐渡に及び、その祠官の強大な勢力は越前平泉衆徒と並び称されました。

 延元・元亀の両役(1337・1570年)には、気比家および社家はいずれも城の守備方について敗れ、元亀の役で織田信長が没収した神領は6万石、社家領は18万石といいます。

    松尾芭蕉の銅像

 江戸時代、元禄2年8月には松尾芭蕉が訪れ、境内には松尾芭蕉の像と句碑があります。

 松尾芭蕉が敦賀に来たのは、1689(元禄2)年8月でした。
 芭蕉にとって、敦賀での仲秋の名月を見るのを楽しみにしていたといいます。







金ヶ崎宮へ、到着。自転車を降りて歩きます。

 金ヶ崎宮

 敦賀湾を一望する小高い山に金ヶ崎城跡があります。
 金ヶ崎城跡は、1336年(延元元)年恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場で、金崎宮には両親王が祀られています。


金ヶ崎宮から、 石段を登り金ヶ崎城跡へ向かいます。

 金ヶ崎城跡
 金ヶ崎城跡は、赤レンガを敷いた遊歩道が整備されていて、歩きやすかったです。


 金ヶ崎城跡・天筒城跡の両城跡は、敦賀市街地北東部の天筒山系に連なる南北朝・戦国両時代共通の城跡であり、古戦場跡です。この両城跡を結ぶ山路は、敦賀市が公園として整備したハイキングコースとなっています。


 1336(延元元)年、皇太子恒良親王(新天皇)・皇子尊良親王を奉じて、北国に勢力をもつ新田義貞が敦賀に下向し、金ヶ崎城に入城しました。1337(延元2)年3月6日、足利方の総攻撃をうけ、籠城6ヶ月、極限の状態で落城しました。
 元亀の役でも、気比神宮の気比社家は朝倉方に味方し、織田信長軍に敗れました。

ハイキングコースを歩いて、天筒山の山頂へ。
気温が高くて暑いし、ちょっと登るのがきつかったです。

金ヶ崎宮入り口へ下りてきました。


 再び自転車に乗り、気比の松原へ向かいます。

 気比は茨城県に縁が深く、水戸天狗党の墓地があります。

 天狗党の乱 武田耕雲斎等の墓・松原公園

 1864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵しました。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀で捕らえられました。幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺(松原)で353人が斬首されました。通常、武士の死は切腹が一般的ですが、斬首は罪人扱いで、非常に厳しい処分と言わざるをえません。

    武田耕雲斎の銅像
 この墓地・公園には、たくさんの茨城出身の代議士・県議会議員・市長等が訪れ、天狗党の人々の冥福を祈り記念樹を植樹しています。

14:20 敦賀駅へ帰着。観光協会事務所へ自転車を返す。

電車に乗って京都へ帰りました。帰りの電車は普通列車で帰りました。