平成14年8月30日(金) 晴れ

京都駅前のレンタカー店で、軽のレンタカーを借りました。




 鷲峰山 金胎寺
金胎寺は、すごい山の中にあります。舗装された山道を車で登ってゆきます。
とても歩いてはゆけないところです。

 鷲峰山 金胎寺は、京都府相楽郡和束町にあります。鷲峰山は標高685mの山で、頂上近くに金胎寺(真言宗、境内は国史跡)があります。寺伝では676(天武天皇4)年役小角の開創という。その後聖武天皇の勅願寺となり、盛時は堂塔伽藍58に及んだといいます。

 鎌倉時代末期、元弘の変の時、後醍醐天皇が笠置に逃れる途中立ち寄ったというので、北条氏に焼き討ちされ衰微しました。建物は多く江戸時代の再建です。



 本堂左にある多宝塔(国重文・鎌倉)は焼失を免れた唯一の遺構で、1298(永仁6)年伏見天皇の勅願で建立したと伝えられます。




国道62へ出てきました。

 笠置寺

笠置寺は、笠置山の上にあります。笠置寺の入山料 300円です。


 笠置山は、天智天皇の子大友皇子がこの山に来たときに災難にあい、山神の加護によってそれを免れ、感謝のため身につけていた藺(い)笠をおいたため、笠置山とよばれるようになったといいます。
 山は笠置寺が創始されて以降、修験の行場や弥勒信仰霊地として栄え、平安時代、藤原道長も訪れています。


 笠置寺は、奈良時代に良弁(ろうべん)が東大寺建立のため、当山にこもって秘法を修したと伝え、巨岩信仰から寺がつくられたと考えられています。
 1331(元弘元)年、後醍醐天皇は京都を逃れ、東大寺別当尋尊(じんそん)を頼んで笠置山にきて寺を行在所とし、寺を中心に笠置城としました。
 近在の武士・農民を集めて当山衆徒の助けを得て幕府軍と戦いましたが、約1ヶ月で敗れ寺は焼かれました。その後復興計画は実らず、今は塔頭福寿院を本坊とし、江戸時代再建の本堂以下若干の堂宇があるにすぎません。


 後醍醐天皇行在所跡は、笠置山の頂上近くにあり、石の柵をめぐらし、笠置城の本丸跡といわれています。

 笠置山から見た木津川。




 恋志谷神社

 笠置町の隣の南山城村に、後醍醐天皇の寵妃を祀った恋志谷神社があります。
 元弘の変に破れ、後醍醐天皇は1332年3月日本海の孤島・隠岐島(島根県)へ流さました。
 当時、寵妃は伊勢で療養していましたが、回復したので、事情を知らずに後醍醐天皇のいる笠置を訪れました。
 しかし、すでに天皇は笠置にはいないことを知り、その悲しみで病が再発し、自害して果てました。その寵妃が果てたのがこの地だといわれています。寵妃に同情し、憐れんだ村人が姫神としてまつったのがこの神社の始まりとされています。

笠置へ戻り、京都駅方面へ戻り、京都駅までレンタカーを返却しました。