平成15年2月11日 雨

今日はS君と一緒に京都観光をしました。
京都駅で待ち合わせて、昼飯を一緒に食べました。

地下鉄で、相国寺へ向かいます。
あいにく、雨が降ってきまて、カサをさします。


 相国寺  
臨済宗相国寺派の大本山です。
 始まりは足利義満が、10年の歳月をかけ、大伽藍を築いたのことによります。開山は夢窓疎石です。金閣寺や銀闇寺も相国寺の塔頭にあたります。応仁の乱により伽藍が焼失まししたが、後、豊臣家、徳川家の援助で再建されました。しかし、天明の大火に遭い、現在みられる法堂(豊臣秀頼寄進)は、この大火を逃れた相国寺で最も古い建物であり重要文化財に指定されています。

特別拝観で、相国寺の風呂を見学できました。現代の風呂というようりサウナのような感じでしょうか。
庭園もよかったです。枯山水で谷をつくっています。

バスで、北野天満宮へ向かいます。


 北野天満宮
梅は咲き始めたばかりです。
雨が降っているのに、人は多いです。
 九州の太宰府へ流刑となった平安時代初期に活躍した学者の菅原道真が亡くなった後、京都は落雷、地震が続いたため、みな道真公のたたりだと考え、霊を慰めようと創建されたものです。
 今では「天神さん」の愛称で親しまれ、全国受験生の合格祈願で有名な神社として知られています。社殿は豊臣秀頼が寄進したもので、拝殿とともに国宝であり、八棟造りといわれる屋根は日光東照宮にも継承されています。

それから、歩いて、大報恩寺へ向かいました。

 大報恩寺
 千本釈迦堂の名の方が一般的な大報恩寺は、瑞雲山と号し、京都の旧市街地で最古の建造物という国宝の本堂を有し、おかめ塚などの伝説もあります。
 承久3年(1221)に義空によって創されました。
 本堂の建築時、大工の棟梁高次が柱の寸法を切り誤って困っていたところ、妻の於亀(おかめ)が枡組を用いることを教え、無事竣工させることができました。於亀は女が夫の仕事に口をはさんだことを恥じて自害しました。高次が冥福を祈って建てた宝篋印塔をおかめ塚といいます。それから、大工の信仰を得るようになります。上棟式のお多福の面はこれに因んだとされています。
 境内の霊宝館には、木造六観音菩薩像など3件の仏像のほか、北野経王堂一切経5048帖などが重要文化財として収蔵され公開されています。
 仏像もいいです。「六観音像」「十大弟子像」の重要文化財が揃っています。

 喫茶店で休憩してから、市バスで京都駅へ戻り、駅でSくんと別れました。