平成15年2月12日 晴れ

今日は、京都市内を観光しました。

 大光明寺陵

 北朝の光明・崇光両天皇の陵で、もと1167(仁安2)年後白河上皇が鳥羽天皇皇女頌子(しょうし)内親王に譲った伏見殿の地と伝え、のち南北朝期には持明院統の御所となりました。






 六波羅蜜寺











 京都市内へ戻り、六波羅蜜寺を参拝しました。六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所でもあります。
 源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修しました。徳川代々将軍からも朱印を与えられました。
 現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していましたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と往事の姿をしのばせています。


 建仁寺
 建仁寺を見学。

 建仁寺は、京都最古の禅寺で、臨済宗建仁寺派大本山として五山制度の第三位でした。
 建仁2年(1202)、修行先の宋・百丈山にならって栄西が開山し、寺号は年号を賜ったものです。






 相国寺

 相国寺の総墓地には足利義政の墓があります。足利義政の墓には、藤原定家、伊藤若沖の墓が並んでいます。


 室町幕府花の御所跡

 室町通今出川の交差点の東北角に、「従是東北足利将軍室町邸址」と刻まれた石碑が建っています。
 京都に開かれた足利氏の政権を室町幕府といい、その時代を室町時代といいます。
 これは足利義満が「花の御所」と称される邸宅を室町頭北小路に築いたことによります。以来、足利将軍累代の御所となり、応仁の乱のとき室町殿を中心に東西の軍が戦い、焼失してしまいます。邸内に花が数多く植えられていたので、花の御所とも呼ばれました。


 歩いて清明神社へ向かいます。

 清明神社

 晴明神社は安倍晴明の屋敷跡であったところである。寛弘4年(西暦1007年)に創建されています。