平成15年 5月 5日(月) 晴れ

ホテルをチェックアウト。

今日は電車の山陽本線で、姫路から相生へ向かいました。
相生で赤穂線に乗ろうとしましたが、間違って先に来た山陽本線・上郡町行きに乗ってしまい、有年駅で降りました。
再度、上りの山陽本線で相生駅へ。
相生駅から、赤穂線で坂越駅へ。
坂越駅で降りました。

坂越駅前は、田舎の駅でした。線路は単線です。
駅前にはタクシーもいません。

駅からまっすぐに南へ歩き始めました。
桜並木が続いています。暑いので、木の陰を選んで歩きました。
国道を渡り、千種川にかかる橋の歩道を歩いて渡りました。
川を渡ると道は左にカーブしており、さらに道なりに歩きます。
先に坂越三差路という信号があります。右に曲がると、その信号の左にJAがあり、右側には保育所がありました。
しばらく歩くと昔ながらの古い街並みがあります。その街並みを歩ききると、海の堤防沿いの道にぶつかります。その信号を左に曲がり、100mほど歩くと、左側に曲がる路地があり、その両側には灯籠がありました。そこから坂道になっており、80mほど歩くと坂越神社がありました


 大避神社に参拝。
 秦氏の祖秦河勝を祀る大避(おおざけ)神社は、坂越湾の静かな海を見下ろす山腹に鎮座しています。聖徳太子四天王の一人であった河勝は、太子の死後蘇我氏に追われてこの地に到り、大避神社を建てたと伝えられています。大避(大酒)神社は千種川流域に多く、渡来人系と考えられる秦氏は、坂越を拠点に千種川流域の開発を行ったものと考えられています。

 大避神社の左回りに歩いてゆくと、階段がありそれを登っていきます。
 階段を登り切ると道にでます。その道の左側に道標が立っています。道標に、船岡公園口、児島高徳卿墓所と書いてあります。


 児島高徳卿墓所
 その道標の示す道を登ってゆくと、入口に鳥居があり、公園のようになっています。さらにそこを登ってゆくと、児島高徳卿墓所がありました。

 墓石は、五輪塔ですが、それほど古いとは感じさせません。





坂越駅に戻り、赤穂線の上り列車に乗りました。相生で山陽本線に乗り換え、姫路へ戻ります。
姫路から山陽本線の新快速に乗って、新大阪駅へと来ました。

さすがに、ゴールデンウィーク最後の日なので、新大阪駅は人が多く混み合っています。
当然、東京行き新幹線の指定席は予約でいっぱいでした。
しかたがないので、新幹線の自由席の切符を買いました。
新大阪の新幹線構内に入り、やっと昼飯を摂ります。
新大阪駅始発のひかり号を調べ、出発するホームに行きました。
自由席の列車ドアが来る位置に並びます。順番は前から7人目ぐらいでした。
新幹線が停車し、乗車できるようになると、あっという間に、自由席は全部埋まってしまいました。私は、最初の方に並んでいたので、座れました。よかった。
座れなかった人は次の列車を待っているようです。
これで、4泊5日の旅を終え関東へ帰りました。