平成15年 9月17日(水)晴れ

ホテルをでて、京阪本線 深草駅へ向かいます。電車を乗り換えて、奈良県の大和八木駅と着きました。
大和八木駅前でレンタカーを借り、奧吉野へ向かいました。

奥吉野には、後南朝の悲劇の歴史があります。

【後南朝】
 足利義満の斡旋で、1392年(元中9年・明徳3年)、大覚寺統と持明院統の両統が合体し、南北朝合一が完成します。
 しかし、合一が行われるものの、両統迭立の約束が守られることはなく持明院統の皇統が続いたため、南朝の遺臣達による皇位の回復を目指しての反抗が15世紀半ばまで続き、後南朝と呼ばれました。
 1443年(嘉吉3年)、南朝の遺臣が御所に乱入し、神璽・宝剣を一時奪還する禁闕の変が起きます。宝剣はすぐに幕府の手で取り戻されましたが、神璽は後南朝に持ち去られたままになります。
 後南朝は、嘉吉の乱で滅亡した赤松氏の再興を目指す赤松遺臣によって、1457年(長禄元年)に南朝後裔の自天王・忠義王の兄弟が殺害され、神璽が奪還されることによって、実質的に滅亡しました。(長禄の変)

 今日は、これから後南朝の史跡を訪ねます。


 小倉宮実仁親王御陵墓
9時過ぎに、東川(うまかわ)へ到着。

 小倉宮実仁親王の御陵墓を捜すがなかなか見つかりません。地元のおばあさんに聞いたがわからないとのこと。道が狭くて、車も停められません
 川向こうに車を停められる広い敷地があったので、そこに停めてしばらく歩きます。
 集落の近くに山道があり、そこを登ってゆくと、やっと見つけました。







 小倉宮(実仁親王)は、南朝最後の天皇である後亀山天皇の皇子でした。足利義満による南北朝合一時の約束は守られず、天皇とはなれませんでした。
 小倉宮実仁親王の御陵墓は、神社の社の後ろの円墳が御陵墓だそうです。




 御首載石跡

 国道169号沿いをずっと進みます。
 道沿いに、「御首載石跡」があります。
 その昔、後南朝の自天王が赤松浪人に殺され、首を持ち去られようとした時に、ここで川上村の郷士が自天王の首を奪回してきて、石の上に載せ、伏し拝んだといいます。





 自天親王神社
 次ぎに、高原にあるという、自天親王神社を捜すがなかなか見つからない。
 高原の福源寺まで行ったがわかりません。お寺のお坊さんに聞いて、高原の集落にあると聞いて、行ってみたが違う神社でした。
 そこら辺をぐるぐると車でまわってもわからずに、歩いていた主婦の方に聞いたら、それらしき所があると教えてもらって、やっと見つかりました。高原の集落の中の高台にあったのです。
 自天親王神社は小さいお社です。

 カクシ平
 これから、今日のメイン訪問地である、カクシ平へ向かいます。
 カクシ平は、奈良県の奥地にあります。
 国道169号沿いをずっと進みます。
 大迫ダムを通って、大迫貯水池に沿って、入之波(しおのは)温泉を通り、入之波大橋を渡ります。もうここから道路沿いに人家が無くなってきます。
 三之公川沿いに約10kmほど進むが、普通に人が生活している人家がありません。林業に従事している方が住んでいる家が何軒かあるだけです。

 三之公川トガサワラ原始林の森近くまでは、林道もなんとか舗装がされていましたが、その先から砂利道になって、道の状態悪くなってきました。砂利道になってきます。
 この先、車で行くのはやないかなと思い、路肩に車を停めて、先へ歩いていきます。
 30程歩いてやっと林道の終点に着きました。林道の終点だけアスファルト舗装されています。




 林道終点から、カクシ平への登山道に入ります。杉の木が生い茂っていて昼なお暗いです。
 谷の崖際に道がついているような登山道というか林道です。鬱蒼とした林の中を歩きます。もし登山道で足を滑らせたら、谷に落ちていって大けがをするか、死んでしまうような場所があります。
 誰にも言わずに、奈良県の秘境のような所に来てしまったことを後悔し始めました。もしも自分に不慮の事故が起きたら、しばらく誰にも行方が判らないでしょう。

 山道の行きも帰りも人っ子一人会いませんでした。後から考えて恐くなりました。
 往路は、アップダウンを繰り返しながら、登ってゆく道です。昨日も山に登っているので(そんな高い山ではないが)、右太股に筋肉痛があり、ちょっと不安です。もし、筋肉がやばくなりそうだったら、引き返そうと思いましたが、なんとか大丈夫でした。
 登山口から30分ぐらいで、明神滝があります。比較的大きな瀑布で、水がきれいです。
 さらに、森の中を歩き続けます。
 明神滝から約30分歩いて、カクシ平に着きました。杉の木が鬱蒼と茂っていて昼なお暗いです。登山道入り口の駐車場から約1時間です。


カクシ平
 文安5(1448)年、尊義王(小倉宮皇子)は、神璽(しんじ)を奉って自天王と忠義王を連れ、都から三之公へと潜居しました。カクシ平は、尊義王が北朝方を避け、八幡平から移り住んだ御所の跡です。



 そこから歩いて水が流れていない河原を過ぎて、3分ほど歩くと尊義王の廟所に着きます。



尊義王の墓
 こんな山奥の辺鄙なところに、後醍醐天皇の子孫達(孫・ひ孫)がなぜ住んだのか不思議です。それだけ生命の危険があったのでしょう。
 後醍醐天皇の子孫が、もし天皇になっていたら、こんな秘境ではなく、花の京の都で、苦労なく人生が送れたのではないかと思います。

 帰りも約1時間ほど歩いて駐車場へ着きました。
 駐車場からまた林道30分ほど歩いて、車を停めた所に戻ります。

 やっと車の所へ戻ってきた。車は無事でした。
 また、車で三之公川沿いに戻ります。

19:00すぎ 橿原市に到着。ガソリンをいれます。今日一日で182.7km 走りました。