平成15年11月 2日(日)  晴れ

ホテルを出発、 伊那市内から大鹿村へ向かいました。

大鹿村の近くまで来て気がつきましたが、泊まっていたホテルの部屋にデジカメが入っているウエストバックを忘れてきてしまいました。

もう1時間以上車で走っており、引き返せないので、帰りに取りに行きますからとホテルに電話しておきました。

カメラが無いと写真が撮れないので、最寄りの雑貨店で「写ルンです」を購入しました。

福徳寺
 車を大鹿村 上蔵(わぞ)の集落にある空き地・駐車場に停めました。
 福徳寺は、大鹿村 上蔵集落にあります。道路の脇に福徳寺の阿弥陀堂だけがあるだけです。
 このお堂が長野県最古の建物で、重要文化財です。鎌倉時代に完成した建物で、約800年間ずっとここにあるわけです。京都市内にあるどのお寺よりも古いことになります。
 江戸時代天保十年、老中水野忠邦がこのお堂を浜松に移築しようとしましたが、村民こぞってこれを拒み、移築はできませんでした。

香坂高宗の墓
 福徳寺 阿弥陀堂から歩いて、4〜5分ぐらいの小高い丘陵上にあります。
 南北朝時代、香坂高宗は宗良親王が信濃に入ると、親王を大河原城に迎え南朝方の人々と共に北朝方と戦いました。

大河原城跡
 歩いて大河原城跡へ。車を停めた所から3分ぐらいのところにあります。
 畑の崖際に石碑があり、城跡は今では畑や民家になっています。
 香坂高宗は、この城に宗良親王を迎え、南朝方として戦いました。
 宗良親王は、後醍醐天皇の第4皇子で、今から約650年前の南北朝時代に、この地を本拠にしていました。遠江・駿河・三河・甲斐・信濃・越後・上野・美濃等に軍を進め、信濃宮・上野宮・越中宮とも尊称されました。

信濃宮神社へ。
 歩いて行くには遠すぎるので、車に乗って行きました。
 信濃宮神社は、集落から離れた山の中にあります。
 偶然、信濃宮を捜しておられた松本ナンバーの車に乗った老夫婦に、信濃宮はどこでしょうかと聞かれたが、私は地元ではないのでわかりませんと答えました。
 自分も信濃宮を車で捜して、この道かと思って進んでゆくと、向こうから車で引き返してくるさっきの車に乗った老夫婦に再び会いました。わからなくて引き返してきたという。
 でも自分はこの道を先へ進んでみました。曲がり角ごとに小さな看板があり、信濃宮へなんとか行き着きました。林道の行き止まりに駐車スペースみたいな空き地があり、そこに車を停めて、道を歩いて下ってゆきます。
 信濃宮神社の御祭神は、宗良親王です。
 私が参拝し終わって、車へ帰ろうと歩いている時、さっきの老夫婦が来ました。

それから、一路 御所平へ向い、林道を走って行きました。

途中、釜沢で
宗良親王宝篋印塔を見学

 南北朝時代にこの土地を根拠地として活躍された宗良親王供養塔として、南朝方の人々の手によって建立されたものです。



御所平
 舗装された林道の突き当たりに御所平があります。
 休日なのにだれも訪れる人もいない。というか途中走ってきた林道で対向車が全然無かったです。
 すごい山の中です。御所平は、南アルプス登山のすぐ玄関口でもあります。
 天気がよく、雲一つ無く晴れています。




 こんなところに後醍醐天皇の皇子・宗良親王が住んでいたとは驚きです。考えてみれば、後醍醐天皇も晩年は吉野山に住んでいたことを思えば似て無くもないでしょうか。でもここは吉野よりもすごい山奥です。



大草城跡  中川村
 もう一度、伊那谷へ戻ります。
 中川村の大草城跡へ。公園として整備されています。春になれば桜が咲く公園です。ここから日本アルプスがよく見えました。



 それから、飯田市に向かい、飯田市も過ぎて浪合村へ。浪合村は、長野県南部の、山の中の村です。


浪合神社    浪合村

 浪合神社は鬱蒼とした杉木立の中にあります。
 浪合神社の祭神は、後醍醐天皇の皇子宗良親王第二皇子尹良親王です。
 尹良親王は、南北朝(1336〜1392)動乱の時代、父宗良親王と共に東国までも遠征して、南朝の再興に奔走しました。
 しかし、応永31年(1424)8月、尹良親王が上野国(いまの群馬県)から三河国に赴くためこの地にさしかかった時、北朝方の土賊に襲われ戦死されたと伝えられています。
 神社手前左側の丘には、親王の首を埋めたといわれる宮内庁管轄の御墓があります。



 尹良(ゆきよし)親王の陵墓は、神社の手前左側のこんもりした円墳みたいになっています。
 しかし、南朝方の親王とはいえ、襲われて殺されてしまうとは、すごい時代です。


 浪合村からの帰り道、国道を走っていたら、駒場の地名が見えました。
 戦国時代、武田信玄が三方原の戦いで徳川家康を鎧袖一触でで破り、京都へ進軍しようしましたが病を得て、信州への帰り道この駒場で死んだといわれています。
 また、信玄の子勝頼を征伐するために、織田信長が通った道でもある。信長は伊那口から伊那街道を通って信州入りした。歴史上の有名人が通った街道です。感慨深いです。

 それから、昨日泊まった伊那市内のホテルにデジカメが入っているウエストバックを忘れてしまっていたので、高速を下り、ホテルに取りに行きました。また伊那ICから高速にのります。

 天気はまだいいです。
 岡谷JCTへ向かう。岡谷JCTから松本方面へ。

桔梗ヶ原 塩尻市
 もう日が沈んで、少し暗くなってきました。
 塩尻駅周辺はブドウと古戦場で有名な桔梗ケ原です。
 1355(正平10)年信濃宮宗良親王と、小笠原長基との合戦により歴史に登場します。
 南塩と北塩の流入路の接点ともいわれ、さらには中山道・伊那街道・北国西街道と、松本平南端の交通の要衝としての歴史をもつ所です

再度、塩尻から高速に入ります。松本で高速を下りて、山を越える一般有料道路を走ります。そこから上田市方面へ。
小諸から上信越自動車道に乗りました。

藤岡JCTの手前からかなり車が渋滞しています。上り方面が渋滞しています。
藤岡JCTから関越自動車道の下り方面へ入り、北関東自動車道へ。
伊勢崎ICで高速を下り、あとは一路、一般道で帰ってきました。