平成15年11月25日(火) 曇り ときどき 雨  のち 晴れ

ホテルを車で出発

 櫛田神社
 櫛田神社は博多の総鎮守として信仰あつく、博多祇園山笠行事(国民俗)のフィナーレをかざる山車をかついで疾走する追山笠は、この神社からスタートします。
 創建は757(天平宝字元)年とされていますが、実際は平安時代末期に九州を掌握した平清盛が日宋貿易の重要都市博多の繁栄を祈願して、平氏の所領肥前国神埼荘の櫛田神社をこの地に勧請したのであろうとの説があります。


 東公園

 少し雨がぱらぱら降ってきました。
 衣冠束帯をしている亀山上皇銅像があります。
 現在、東公園内に福岡県庁が建っていますが、この一帯はかつて千代の松原で知られていた所でした。この公園には、元寇にちなむ日蓮上人と亀山上皇の銅像が2体そびえたっています。
 亀山上皇銅像は高さ4.8m、台座もあわせて21.5mです。



 筥崎宮


 平日なので、参拝に来ている人は少ないです。
 日本三大八幡宮の一つ筥崎宮(祭神応神天皇・神功皇后・玉依姫命)は、923(延長元)年筑前大分宮より、今の地に遷座しました。
 一の鳥居(国重文)は藩主黒田長政が1609(慶長14)年に、楼門(国重文)は1594(文禄3)年に小早川隆景が、本殿・拝殿(ともに国重文)は1546(天文15)年に大内義隆が、それぞれ建立したもです。


  多々良浜

 多々良浜の碑をやっと見つけました。なかなか見つからなかったです。
 流通団地の隅っこにありました。
 現在、流通センターになっているが、多々良川河口の西南一帯がかつての古戦場でした。バス停のすぐそばに多々良浜古戦場の碑が立っています。
 ここは京都の戦いに敗れて九州まで逃れてきた足利尊氏が、1336(建武3)年3月宗像氏範・少弐頼尚らの1000騎の軍兵とともに肥後の菊池武敏・阿蘇惟直らの大軍と戦い、勝利を得た所です。この結果、尊氏は京へ攻め上り、室町幕府を開くことになりました。


 長者原古戦場の碑

 長者原古戦場の碑
 ここもなかなかわからなかったです。
 始め、粕屋町公民館前の案内板にのっている地図に、長者原があったのでそれをもとに行きましたが、みつかりませんでした。
 町福祉センターの中に入っている社会福祉協議会の職員の方に聞きました。職員の方も判らなく、役所に電話して聞いたりして、調べ教えてくれた。住宅地図をコピーして、場所も書いてくれました。昼休みだったのに,すごく親切でした。
 やっと見つかった石碑は小さなもので、場所も道のすぐ脇にあるものでした。すごくわかりずらいです。

正平14年7月から8月にかけて、懐良親王と菊池武光を中心とした南朝軍は、筑後大保原にて行われた筑後川の戦いで小弐軍に勝利をおさめました。
 南朝軍は、その後2年をかけて太宰府を攻略し、小弐氏を追い払い、大友氏らを討伐して、北九州をを手中にしました。同16年8月懐良親王は、太宰府に征西府を置き、九州南朝の黄金時代を迎えました。
 南朝軍の威勢は日に日に上がり、やがて東上を目指し始めます。慌てた室町幕府は、斯波氏経を九州に派遣し、大友氏と筑前まで兵をすすめましたが、正平17年10月長者原の合戦で菊池武光を中心とする南朝軍に敗れました。

 雨の降りがだんだん強くなってきました。


 福岡ICから九州自動車道に入ります。
 鳥栖ICで高速を下ります。たんだん雨があがってきました。


 小郡市小郡へ。
 大保原古戦場跡
 大保原古戦場の碑は、小郡市役所脇の東地区公園にあります。
 役所の駐車場は狭いです。
 正平14年(1359年)7月から8月にかけて、大保原の戦いは、約4万人の南軍(懐良親王・菊池武光軍)と、約6万人の北軍(小弐・大友連合軍)とが、宝満川流域の筑後平野を舞台にして一大決戦を展開し、結果は南軍の勝利となりました。両軍の戦死傷者合わせて約2万5千人といわれています。
 以後、菊池武光は懐良親王を奉じて、太宰府に征西府をおき、十数年間、九州政治の実権を握るに至りました。
 平地戦で短時日にこんなに多数の戦死傷者を出した激戦はまれであるといわれ、その霊を弔ったと伝えられる跡や、その他の遺跡はいくつも残っています。


大刀洗町の大刀洗公園へ
 大刀洗公園と菊池武光銅像

 大刀洗の伝説
 正平14年(1359)8月7日大保原(小郡市)で武家方の小弐頼尚に勝利した宮方の菊池武光は、さらに敗走する敵を追って山隈原まで進出しました。この方面で戦っていた小弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に敗れました。
 武光はさらに小川を渡り、深く追撃しようとしました。しかし夜明け前からの激戦で死傷者は小弐方1万8千人、菊池方6千9百人と伝えられるように、味方も損害が大きくまた疲れきっていたので、進撃することを止め、軍を山隈原にまとめました。朝からの戦いで血まみれの刀を山隈原を流れる小川で洗うと、刃は鋸のようにこぼれており、川の水は貞っ赤に染まったといいます。
 その川が,この大刀洗公園の中を流れている大刀洗川です。

 空が晴れて,快晴になってきました。

 さらに、小郡市福童の大中臣神社へ。
 大中臣神社
 懐良親王のお手植えの藤があります。幹が普通の木のように太くなっています。

 この藤は根元周囲3メートル、胸高周囲2メートルで、地上1.7メートルから幹が分岐し高さ2メートルの棚の上に枝が広がり、その被覆面積は204平方メートルに及びます。樹勢は旺盛で、樹齢は約600年と推定されます。
 正平14年(1359年)、南朝の征西将軍宮懐良親王・菊池武光と北朝の小弐頼尚の両軍が激突した大保原合戦で懐良親王が手傷を負った際に、その快癒を祈って大中臣神社に祈祷したところ、その加護で全快したことに感謝し、この藤を奉納したと伝えられています。


 久留米市宮の陣にある宮の陣神社へ。
 宮の陣神社
 懐良親王お手植えの梅がある。
 正平14年(1359)8月、後醍醐天皇の皇子である征西将軍宮懐良親王は、菊池武光・草野永幸ら宮方の軍勢4万を率い、南下してきた小弐頼尚をはじめとする足利方の兵6万の大軍と大保原(現在の小郡市から宮ノ陣にかけて)において九州における雌雄をめぐり、激しい戦いをくりひろげました。
 これが、日本三大決戦の一つとして有名な「大原の合戦」(筑後川の戦い)です。
 その際、征西将軍宮がこの地に陣を張られたことが「宮ノ陣」の地名の由来ともいわれています。
 境内には「将軍梅」という懐良親王お手植えと伝わる紅梅があり、3月初旬には、美しい紅梅が咲きます。


福岡空港へ帰途に向かいます。

レンタカー店の近くのガソリンスタンドでガソリンをいれました。
3日間のトータルで752.8km走りました。
燃費 16.84km/リッター。カローラもかなり燃費がいいです。
夕食を食べて、車を返却。レンタカー屋さんが、福岡空港まで送ってくれました。

スカイマークエアラインの飛行機で21:35出発
離陸してから、機体が何度も揺れるのが続きました。怖かったです。
羽田空港着 22:50

パーキングの車が迎えにきてくれていました。
駐車料金を精算して家へ向かいます。AM0:40家に帰宅でした。