112月下旬 晴れ
京都へ。
JR電車で嵯峨嵐山駅へ。
歩いて、清凉寺へ。

 清凉寺(せいりょうじ)
  清凉寺は、嵯峨の釈迦堂の名前でも親しまれており、嵯峨野でも有数の古刹です。
 895年、源融の没後、別荘を寺としたのが創始です。1016年に五台山清凉時が建立されました。
 本瓦葺きの2階二重門という堂々とした仁王門をくぐると正面に本堂、周囲に阿弥陀堂、多宝塔などが建つほか、嵯峨天皇の皇子・源融の墓などの石造美術品も数多く点在しています。
 現在の本堂は、1701(元禄14)年徳川五代将軍綱吉、その母桂昌院の発起により再建されたものです。
 



先週末に降った雪が境内に残っています。








 本堂には、本尊釈迦如来立像(国宝)を安置しています。今日は、拝観できる日ではありませんでした。
 国宝である本尊の釈迦如来像は、目に黒水晶、耳に水晶をはめ込み、体内には絹で作った五臓六腑や経巻が納められている事から、「生身のお釈迦さま」とも呼ばれています。 入宋僧「然がもち帰った三国伝来と伝え、彫像様式清凉寺式の名を彫刻史に残しています。北宋初期の影響を受けているそうです。


 清凉寺を出発し、ぶらぶら歩きました。


天竜寺の前を過ぎて、桂川へ。


 安倍清明の墓
 安倍清明の墓は、嵯峨にあります。
 安倍晴明は、平安時代の天才陰陽師として名高い。陰陽師には、二面性があるといいます。一つは中国伝来の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)によって天体を観測したり暦を作成する科学者的側面。そしてもう一つは吉凶を占ったり、自在に式神(陰陽師の意のままに動く鬼神)を自由に操る呪術師的な側面です。
 晴明は、花山天皇、藤原道長を始めとする貴族に重く用いられ、寛弘2年9月26日(1005年)、85歳でこの世を去ったとされています。


 長慶天皇陵
安倍清明の墓のとなりに、長慶天皇陵があります。
 後村上天皇の第一皇子で南朝第三代の天皇。父後村上天皇の死を受けて正平23年(1368)践祚。足利方との徹底抗戦を主張したが、弘和3年(1383)和平派の推す弟熙成親王(後亀山天皇)に譲位して上皇に。南北朝合一後も京都には戻らなかった。この天皇の即位は疑うものがあり、明治以降専門家の考証によって昭和元年(1926)に至って初めて皇統に列せられたというものです。