平成16年 1月 水曜日 広島観光3日目 晴れ
 青い空が見えますが、雲が多いです。

広島駅をJR西日本で出発。尾道駅着。

尾道は、駅前から、古寺めぐりの石標柱が整備されています。

坂を登ってゆきます。

持光寺(浄土宗)
一番最初は、持光寺へ来ました。石の門が変わっています。
 庭にあじさいが多いです。咲いていたらキレイでしょう。

 持光寺には、国宝 絹本著色・普賢延命菩薩像がありますが、拝観はできません。


光明寺(浄土宗)
 本は天台宗のお寺でしたが、1336(延元元)年足利尊氏西下の際、従軍僧として尊信篤かった道空が、、この寺に杖をとどめて本堂を再建し浄土宗に改めました。
 境内に、幕末の横綱で尾道に関係が深い、横綱 陣幕久五郎 夫妻のお墓があります。


天寧寺(曹洞宗) 10:55
 足利二代将軍 足利義詮が工費を寄進し、1367(貞治6)年、普明国師を開山とするお寺です。
 当時の建物で残っているものは、本堂裏手にある「海雲塔」だけです。
 「海雲塔」は重要文化財。三重塔婆。三重の塔です。古さを感じさせます。


千光寺ロープウェーに乗ります。 11:30
 
 3分で山頂までゆけます。一応、ロープウェーの中で女性ガイドさんが観光ガイドをナレーションしてくれます。
 
展望台があり、そこから尾道市街、尾道水道(海)、向島が一望できます。



山頂から下りてきて、千光寺へ向かいます。
途中、尾道に関係が深い文人墨客の作品を天然の岩に刻んだ遊歩道になっています。
文学の小道になっています。


千光寺(真言宗)

 千光寺は、山の崖際に建立されています。
 鐘楼があり、この鐘は除夜の鐘でも有名とのこと。





12:15 尾道ラーメンを食べるため、「朱華園」へ。

「朱華園」
 中華そば 460円を食べながら、ビールを飲みます。
 店に入り、まず食券を買わなければなりませんでした。
 きれいな店です。
 平日のお昼時で込んでいました。ひっきりなしにお客さんが入ってきます。
 中華そばは、しょうゆ味で、濃いめの味でした。とんこつしょうゆという感じでしょうか。刻んだねぎ、メンマ、チャーシューが入っています。美味しかったです。

 また再び歩き出す。


御袖(みそで)天満宮
 菅原道真が太宰府に赴くとき、この地の里人が、麦飯と酒を供したところ、道真がこれを悦び、自らの衣にお姿を画き与えたといいます。



西国寺(真言宗)
 真言宗の巨刹である。現在の堂塔の多くは南北朝期備後の守護山名一族によって再建されたものです。

仁王門(重文)
 一番最初の建物が、仁王門。おおきな「わらじ」が門の左右にかかっています。
 足の病気に御利益があるとされるされています。


金堂(重文)

三重塔(重文)
 三重塔は室町幕府六代将軍足利義教の寄進によるものと伝わります。


西郷寺
 本堂が重要文化財。






姿三四郎終焉の地
 浄土寺の近くに、西郷四郎終焉の地碑と四郎の銅像が立っています。直木賞作家富田常雄の大河小説「姿三四郎」のモデルとなった柔道家西郷四郎(1869〜1922)は、嘉納治五郎の講道館の最初の門人。身長153cmと小柄ですが、その豪腕は「山嵐」の大技を駆使した。富田常次郎(富田常雄の父)・横山作二郎・山下義韻とともに「講道館四天王」といわれ、嘉納が外遊の際には師範代となりました。
 のちに中国大陸を転々としたが志を得ず、長崎で「東洋日の出新聞」の経営に乗り出しましたが失敗します。晩年は、婦人の親戚の勧めで尾道の筒湯小学校下の吉祥坊で静養し、亡くなりました。


浄土寺へ

浄土寺(真言宗)
 浄土寺は聖徳太子の開基という伝承を持つ古刹です。平安から鎌倉時代中期までは太田荘(原世羅郡甲山町・世羅町)の領家であった高野山の系統の真言宗でしたが、鎌倉末期に西大寺系真言律宗となり、江戸時代に真言宗泉涌寺派に転じました。西大寺叡尊の直弟子定証が住職となってからは堂塔の再興に努めたことが1306(嘉元4)年の定証起請文からわかっています。しかし、1325(正中2)年火災にあい1宇も残さず焼失しました。その復興は港町尾道の経済力を背景に直ちに行われました。
 本堂(国宝)は1327(嘉暦2)年に尾道の商人とみられる沙弥道蓮・比丘尼道性が発願し、大工藤原友国・同国貞が建築したもので、桁行5間・梁間5間の規模、前面2間通りを外陣とし、後ろを内陣とする。和様を基調とするが桟唐戸・花肘木などを用いた折衷様です。本尊の木造十一面観音立像(国重文)は平安時代初期の一木造で、面相は豊満で体躯は充実しています。 九州へ敗走した足利尊氏が態勢を立て直し、1336(建武3)年上洛の際、一門とともに浄土寺へ参じ、十一面観音の前で観音賛仰の和歌33首を献じています。
 多宝塔(国宝)は1329(元徳元)年の再建で全体のバランスがとれ、華麗な装飾に富んだ三間塔婆です。





 阿弥陀堂(国重文)は、1345(康永4)年の再建で、桁行5間・梁間4間の和様の建物です。寄棟造で蔀戸をおき、向拝をつけないことがかえって古風を感じさせます。
 山門(国重文)は室町初期を下らぬ秀作で、本堂との技術的関連性の深さが指摘されています。
 露滴庵(国重文)は茅葺の茶室で、豊臣秀吉が桃山城内に建てた茶室燕庵を移したものと伝えます。
 また、貞和4(1348)年在銘の宝篋印塔や足利尊氏の墓と伝えられる同時代の宝篋印塔(いずれも国重文)があります。

 室町幕府初代の将軍足利尊氏は、1335年(建武2)、後醍醐天皇の建武政権に反旗を翻しました。翌年、京都で北畠顕家軍と激戦の末敗れ、西下の途中、尾道の浄土寺に参詣しています。本尊十一面観音に戦勝を祈願し、備後国(広島県東部)得良郷の地頭私職(じとうしき・所領)を浄土寺に寄進しました。その寄進状が残されています。
 九州で態勢を整えた足利尊氏は、後醍醐天皇方の豪族菊池軍と多々良浜(福岡市)で戦いました。軍勢は圧倒的に菊池軍が有利でしたが、突然の突風で菊池税が総崩れとなり、勝利をおさめた。尊氏は、京都奪還のため東上のおり、再び浄土寺に参詣、法楽和歌33首を奉納しました。
 浄土寺には尊氏供養塔(石造宝篋印塔。重要文化財)など、尊氏ゆかりの寺宝が多いです。


 尾道から山陽本線に乗って、普通列車で白市まで行きました。山陽本線は、ずいぶんと山間部を走っている路線です。
 白市で下車。広島空港行きの路線バスに乗りました。
 広島空港には出発1時間前に到着し夕食をとりました。
 二泊三日の旅を終え、飛行機で羽田空港へ向かいました。