平成16年 6月 7日(月) くもり 晴れ間がときどき見えます。

滋賀県 大津市へ。
今日は、石山寺を参拝しました。
京都駅JRに乗り石山駅で降ります。

石山駅前バス停で、京阪バスに乗ります。
石山寺山門前で降りました。晴れ間が見えてきました。

 石山寺

 聖武天皇の勅願により749(天平勝宝元)年,良弁僧正によって開基され,歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院である。西国巡礼十三番の札所でもあります
 良弁による開山の背景には、東大寺の大仏鋳造が関係しているといわれています。開山ののち、東大寺別院の華厳宗道場に定められていた石山寺は、平安時代の密教隆盛のなかで、菅原道真の孫淳祐によって真言密教となり、中興されました。
 朝廷の尊崇も篤く、この頃から貴族の参詣参籠が相次ぎました。また、風光明媚な石山に物見遊山を兼ねて参詣する「石山詣(もうで)」も盛んに行われました。



 比良明神影向石

 影向石(ようごういし)とは、神様が初めてその本当の姿を現した場所を指しています。
 昔このあたりが琵琶湖の湖中だった頃、比良明神が釣り糸を垂れていた石だそうです。今はそれが石垣で覆われています。
 吉野金峯山寺の蔵王権現の夢のお告げによって、聖武天皇は東大寺の良弁に、琵琶湖近くの山で祈るように命じました。そこで良弁が琵琶湖に行くと岸辺の岩の上で神々しい老人が釣りをしていました。これこそ比良明神の本体であり、良弁がここへ寺を建立することを決意したといわれといいます。

 石山寺硅灰岩 天然記念物

 硅灰岩は,石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し,その熱作用のために変質したものです。この作用によって通常は大理石となりますが,この石山寺のように雄大な硅灰岩となっているのは珍しいそうです。
 この硅灰岩が「石山」の起こりとなったものです。


 蓮如堂

本堂下に蓮如堂があります。蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれており、その関係か蓮如上人の遺品御歳六歳の御影鹿の子小袖御数珠を安置しています。

 石山寺本堂
 本堂は懸下木造建築最古のもので,内陣は平安中期の建築。外陣は淀君の修補になるもの。寄棟造の本堂と寄棟造で懸造(舞台造)の礼堂と,その両棟を結ぶ相の間によって構成される総檜皮葺の建物です。
 本尊は如意輪観音像で秘仏になっています。像高293.9cmという大きな像で、平安時代の作。天皇即位の翌年、あるいは33年に一度のみ開扉される秘仏です。


 平安時代、平安貴族に石山詣でが流行したそうです。紫式部が石山寺に参詣し、源氏物語の構想を着想したといわれています。






 多宝塔  国宝

 多宝塔は、下層が方形、上層が円形の平面に宝形造の屋根をのせた二重の塔です。
 石山寺多宝塔は1194(建久5)年に建立されたもので、多宝塔の中でも、最も優れて美しい姿をしており、上下左右の広がりがきわめて美しく洗練され、均整のとれた建築です。
 また、内部の柱や天井の回りなど壁面には、仏像や草花などの極彩色の絵が描かれています。1951(昭和26)年に国宝に指定されました。


多宝塔本尊 大日如来(快慶作)
 ご本尊は建久5(1194)年塔と同時期に製作され、像高102cm寄せ木造り。



 御影堂

 本堂の東方にあるこの御影堂は桁行三間、梁間四間、桧皮葺の持仏堂風の親しみのある建物です。お堂の中には、石山寺に関係の深い良弁、空海、淳祐の遺影(御影)を安置しています。




 石山寺を一通り見終わったら、雨が本降りに降り始めました。

 バスを待っているとき、ひどい土砂降りになりました。ズボンがびしょぬれです。
 山門前でバスに乗ると、雨があがってきました。
 石山駅へ。

 石山駅からJR電車に乗って京都へ向かいました。
 新幹線で、東京へ帰りました。