平成16年 8月 晴れ

 鎌倉駅前からバスに乗って、杉本観音で降りました。
 真夏なので確かに暑いのです。
 が、風があるので、日陰をひろって歩いている分にはがまんできない暑さではないです。

 杉本寺
入山料 200円

 天平6(734)年、光明皇后の発願で創建されたと伝えられる天台宗の古刹です。
 現在でも板東三十三観音霊場の第一札所として、信仰され、境内にはおびただしい奉納幟が林立しています。

 神奈川街道から、階段が続いています。寺の伽藍は大倉山の斜面に配置されています。




 秘仏の本尊(毎月1、18日、8月10日に限り公開)は、3体の十一面観音です。
 寺の縁起によれば、寺が火災になったとき、本尊が自ら歩いて杉の木の下へ避難したので杉本観音といわれます。
 また、門前の金沢街道を馬に乗ったまま通ろうとすると必ず落馬してしまったという言い伝えから「下馬観音」とも呼ばれました。

 境内には、多数の苔むした五輪塔があります。

 杉本城跡
 杉本寺のある大倉山を中心に築かれた山城が、杉本城跡である。平安時代末に三浦義明の長子杉本義宗(和田義盛の父)の築城によります。三浦氏の支城の一つでした。
 のち鎌倉の外港として栄えた武蔵国六浦と鎌倉を結ぶ金沢街道の押さえとなりました。
 1337(延元2)年、南朝の北畠顕家が2度目の上洛の時、鎌倉に攻め入ります。足利義詮らは退却しましたが、斯波家長はこの城で防戦し、北畠軍と戦ってついに300余人が討死したといいます。


 上杉禅秀館跡
 上杉禅秀の乱で有名な、関東管領犬懸家の上杉氏憲(出家して禅秀)の館があった所です。 今は空き地で、車の駐車場になっているようです。
 上杉禅秀は、関東公方足利持氏と山内家の上杉憲基と戦いましたが、利あらず1417年、一族従者とともに鎌倉雪の下で自害して果てました。



釈迦堂切通し
 バス通りから住宅街に入ると、急に静かになってきます。
 住宅街を抜けると、道が砂利道になり、まわりが山林になります。
 上り坂を歩いてゆくと、昼なお暗いなかに、岩山をくり抜いたトンネルになっている釈迦堂切通しがあります。
 金沢街道と大町を結んでいましたが、現在は、崖崩れの危険があるため、通り抜けは禁止されています。
 この岩山の上付近は、北条時政の館跡にあたり、かつて邸内に釈迦堂があったことから、この名前がつけられました。


 勝長寿院跡
 住宅街を流れる川の畔にあります。
 大御堂ともよばれた勝長寿院は、頼朝が父の義朝を供養するために建てた寺で、源氏の菩提寺の正確が強いです。
 三代将軍源実朝も火葬のうえ当寺に埋葬されたといいます。当時、鶴岡八幡宮・永福寺と並ぶ三大寺院に数えられていました。鎌倉幕府滅亡ののち、足利氏も勝長寿院を崇敬しましたが、室町時代の終わり頃に廃絶したそうです。
 勝長寿院旧跡の石碑が立ち、その横に源義朝の供養塔があります。


 浄妙寺
入山料 100円
 文治4(1188)年、鎌倉幕府の重臣足利義兼が創建しました。当時は、極楽寺と呼ばれる真言宗の寺でした。その後蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子である月峯了然(げっぽうりょうぜん)が住職となり臨済宗に改宗、寺名も浄妙寺に改めました。
 鎌倉五山の五位に数えられ、最盛期には23院の塔頭を有した大寺院でしが、度重なる罹災で往時の伽藍は失われ、本堂の銅葺きの大きな屋根が、かつての威容をわずかに偲ばせています。

足利貞氏の墓

 本堂裏手の墓地には、足利尊氏の父貞氏の墓と伝えられ、明徳三年銘の宝篋印塔があります。






本堂左脇には茶室喜泉庵があり、枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただくことができます。
お菓子付で500円です。







 報国寺



 足利尊氏の祖父家時が建立した臨済宗の寺で、開山は天岸慧広(てんがんえこう)。足利・上杉両氏の菩提寺として栄えました。
 本堂裏の休耕庵跡は孟宗竹の竹林の中に石仏や灯篭が配置され、鎌倉一の「竹の寺」として有名です。

拝観料200円