平成16年9月18日(土) 曇り ときどき 雨

 米子市駅前を、ジャパレンをレンタカーで出発しました。
 車は、スズキ アルト。ギアは5速マニュアルでナビはついていません。

 名和神社へ。
 後醍醐天皇の重臣・名和長年と一族42名をを祀る神社です。名和長年は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破りました。
 後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し天皇親政を復活(建武の新政)、長年はこの新政権で重用されました。

 参拝が終わり、出発しようと思ったら、セルを回しても、エンジンがウンともスンともいいません。すごく不安になりました。
 バッテリーあがりか、エンジンの特別なかけ方があるのかと思い、レンタカー営業所にtel。
 聞いたら、今のマニュアル車は、クラッチを踏んでいないとエンジンがかからない仕組みになっているとのことでした。知らなかった。

 簡単にエンジンがかかり、出発。

 的石


地元の方に聞いて、場所を教えていただいたきました。なかなかわかりずらいです。
昔、名和一族が弓矢の修練に使用した的だと言われています。

 氏殿神社

 名和神社の旧社殿。現在の名和神社とは別のところにあります。


 故伯耆守名和君碑。江戸時代の1858年、名和長年を顕彰して鳥取藩主により建てられたものです。
 やたらと、やぶかがいて、腕を2〜3か所もさされてしまいました。

 御来屋の元弘帝船着所へ。

 元弘帝船着所

後醍醐天皇が、隠岐から脱出されてきて、船が着いたところといいます。

小雨が降り始めました。
米子市内に戻り、安養寺へ。

 安養寺(あんにょうじ)  米子市
 元弘2(1332)年、後醍醐天皇が隠岐島へ配流されたとき、皇女瓊子(たまこ)内親王は、父を慕い、童姿に身をやつしてついてこられたが、隠岐へ一緒に渡るのを許されませんでした。この寺は、皇女が悲しみのあまり16歳で髪をおろし、西月院安養尼と号して開かれた寺です。


後醍醐天皇皇女 瓊子(たまこ)内親王陵


雨があがってきました。
米子城跡へ向かいます。

米子城跡の駐車場に到着。

 米子城跡
 米子城跡は、平山城です。
 米子城は、天正19年から毛利の吉川広家が築城を始め米子城跡た。
 慶長5(1600)年、中村一忠がさらに規模を拡大し、山の頂上に五重の天守閣を築きました。
 しかし、明治維新になり取り壊されてしまいました。


 駐車場に車を停めて、天守閣がある頂上へ登り始めます。

 頂上に到着。汗をかいたが、気持ちいいです。


米子市内が一望に見えます。
日本海、中海も見えます。





下りの道を間違い、登ってきた道を違う道に下りてしまい、よけいに歩いてしまいます。
蒸し暑いです。太陽の日差しがでてき米子城跡た。

 中海の岸から見た米子城。


 中海


 米子市内で昼食。
 島根半島の美保関(みほのせき)へ到着。
 島根半島は、長さ約70km、まん中を標高500m級の山脈が走っています。

 美保関へ。
 街のなか道は、石ただみになっています。江戸時代に敷かれたものとのこと。


 仏谷寺
 後鳥羽上皇・後醍醐天皇が隠岐へ流される時、行在所になった寺です。




 八百屋お七の恋人吉三の墓。


宝物庫の仏像を見学させていただきました。拝観料300円です。


5体の重要文化財の仏像があります。平安時代初期の貞観仏(1200年前)です。

等身大の一木造です。
聖観音立像、虚空蔵菩薩、薬師如来立像、日光菩薩立像、月光菩薩立像、ほかに、毘沙門天立像、阿弥陀如来坐像があります。
出雲様式の代表的な仏像で、山陰最古の木像仏です

 美保神社
 事代主命(ことしろぬしのみこと)と三穂津姫命の二神を祀ります。

拝殿


本殿

本殿は、美保造りといい、大社造りを2棟並べて間でつないでいます。重要文化財。

一路、松江へ向かいます。

松江市内に入ります。
松江城を見ようと思っていましたが、一番近い駐車場が満車で入れないので、見学をあきらめ米子城跡た。
米子へ向かうことにします。
時間もあるので、山陰道をつかわずに、一般道で行きました。

米子着。ガソリンを入れると9.4リッター入りました。
173.7kmを走ったので、燃費は、18.5km/リッター。軽のマニュアルだから燃費がよかったです。

東京行きの高速バスに乗ります。
帰りも夜行の高速バスで帰りました。


平成16年9月19日 (日) 晴れ

6:20 朝に、東京の品川バスターミナルに到着。
これで、今回の旅行は、無事終了しました。