平成16年10月25日(月)晴れ ホテルをチェックアウトして、ホテルの近くにあるトヨタレンカーへ。 レンカーで八戸へ向かいます。 レンタカーは、夕方に青森空港で乗り捨てにする予定です。 同県内なので、乗り捨て料金は無料です。 ■ 七戸城跡 城内は6郭7区域にわかれ、堀や土塁が残されているます。築城の時期は明かでないが、七戸は1334(建武元)年には、工藤右近将監にかわって伊達行朝が支配していたことが知られています。 工藤氏は建武の新政の際、鎌倉幕府についたため所領を没収されたのです。1335年には、七戸城は南部政長に与えられ、これ以後南部氏の支配が続きました。 1591(天正19)年に九戸政実の乱が起こると、七戸城の南部家国は九戸の武将として南部信直と戦い敗北しました。その後も七戸城は破却をまぬがれ、1597(慶長2)年には信直の長子直時が入り、盛岡南部藩27代利直へと受け継がれました。しかし1664(寛文4)年に重信が宗家の29代を相続したため、七戸城とその領域は盛岡南部藩の直轄地になりました。 ■ 小田子不動堂 小田子不動堂は、南部政光によって応永3年(1396)に創建されたと伝えられます。現在の堂は昭和四九年に新築されたものてあり、八幡宮が合祀されているが、明治の初年頃まては、もっぱら小田子のお不動様として尊信されていました。本尊は運慶作と伝えられる不動像であリ、右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を持つ憤怒尊です。 堂内には見町観応堂と同じく絵馬が奉納されているが、その数は嘉吉元年(1441)、文安2年(1445)と言われるものをはじめ、主として江戸時代中期・新しいものでは昭和11年のものなど舎わせて108枚に及んでいます。 ■ 見町観音堂 見町観音堂は、波木井南部八世正光が、応永3年(1396)長慶天皇の菩提を弔うために創建したと伝えられます。この神社は昔から見町の観音様として知られているが、正しくは金鶏山長福寺と呼ばれ、本尊は聖観音です。 現在の堂は江戸時代中期頃の建造と思われますが、室町期の建築様式を今に伝え、昭和60年に青森県重宝に指定されています。桁行、梁間ともに三間の単層、方形造りの建物で、屋根は昭和39年に茅葺きからトタン葺きに改修し、また昭和59年には原型の保存復原を原則に下部、廻縁の全面改修が行われました。 ■ 根城跡 所在:八戸市大字根城字根城 八戸駅から八戸市内の中心街へ行く途中、馬淵(まべち)川にかかる根城大橋を渡ると、左手に見える森が根城跡(国史跡)で、史跡根城の広場となっています。 建武の新政のとき、陸奥国司兼鎮守府将軍となった北畠顕家は、国代として南部師行(もろゆき)をこの地に派遣した。根城は1334(建武元)年、師行によって築城されたといわれます。面積は21万2795平方mです。 以来1592(天正20)年に破却されるまで、約260年間根城南部氏の居城であり、その拠点でありました。 史跡根城址の碑 博物館前にある南部師行の銅像 南部氏は、南北朝時代には奥州における南朝方の中心的な存在として活躍しており、その領地は、当時糠部(ぬかのぶ)郡と呼ばれた広大な地域の中や、津軽、秋田県の比内・仙北・鹿角、岩手県の閉伊、遠野にも認められています。しかし、南朝方が劣勢になるに従い、根城の南部氏も次第に勢力が弱まりました。 1627(寛永4)年には、南部氏は岩手県の遠野へ移封となっています。 現在、根城には、本丸・中館・東善寺館・岡前館・沢里館頭の郭や多くの堀が良好に残っています。 このうち、本丸については、発掘で発見された建物跡を基に立体復原も行われ、破却直前の時期を想定した主殿・馬屋・鍛冶工房などの建物が復元されています。 復原された本丸建物群 本丸の北東端には築城以来のものといわれるイチョウの大木がそびえ、そばに記念碑があります。 博物館は、月曜日なので休館でした。残念です。 ■ 櫛引八幡宮 櫛引八幡宮の祭神は、誉田分尊など十数神で、南部氏の氏神、盛岡南部藩の総鎮守でした。南部一宮、南部総鎮守などど呼ばれ、盛岡・八戸両南部藩随一の神社です。 由来については、1166(仁安元)年、南部氏の遠祖加賀美遠光が、甲斐国(山梨県)南部庄に創建したものを、1220(承久2)年、南部光行が現在の十和田市滝沢に勧請し、その後現在地に遷宮したとされます。 本殿は桃山風の建築様式を残しており、1648(慶安元)年の建立になるもとされています。 宝物殿には、国宝の2領の鎧が陳列されています。 赤糸縅鎧兜大袖付(国宝)は、「菊一文字の鎧兜」ともいわれ、鎌倉時代末期の作で、長慶天皇御料と伝え、その豪華さは奈良春日大社の赤糸縅鎧兜と双璧をなしています。 白糸縅鎧兜大袖付(国宝)は、南北朝時代の作で、別名を「卯の花縅」ともいう。根城南部氏7代信光が後村上天皇より賜り、のち1411(応永18)年、10代光経が秋田出陣の際に着用し、凱旋して奉納したものと伝えられています。 宝物館を見学。300円 ■ 法光寺 (青森県名川町) 法光寺は北条時頼の開山、1280(弘安3 )年の草創とされ、糠部三十三観音第19番札所の観音堂があります。 法光寺には、道元禅師の遺骨と仏舎利を納めた三重塔があります。法光寺の三重塔は北限の三重塔だそうです。高さは33mで木造で国内最大といわれ、完成したのは昭和24年です。 三重塔の木材に塗られている色がくすんだ色でした。朱色ではなくて残念な気がしました。 雨が降り出した。 小雨模様になってきました。 ■ 恵光院 恵光院は、もと長谷寺(真言宗)といいました。この寺には本尊の十一面観音像があります。 恵光院には、寺宝として、長慶天皇の御物(ぎょぶつ)といわれる笈(おい)があります。 また、恵光院は、長慶天皇の行在所だったようです。 帰りの道は、ナビの検索の結果、十和田市から田代湿原・八甲田山を通るルートを通って帰ることしました。そのとおり走っていると、山の奥地に入っていき、人家が無くなってきます。 道路脇に、熊に注意の看板があります。今年は、日本各地で熊による被害が多かったです。 対向車も、ほとんど来なくなってきました。日が沈んで、暗くなってきます。 坂道を登って、八甲田山の田代湿原へ向かってゆきます。 田代湿原を走っている頃は完全に真っ暗になります。全く、携帯電話の電波が入りません。 家が無いので、街路灯も無いです。 かなり、不安になりつつ車を運転していました。 なんとか、無事に青森市内へたどり着きました。 青森市内で、レンタカー給油 262.3km。 17リッター入り、燃費は15.4km/リッターでした。 青森空港の手前にある、トヨタレンタカーの営業所に車を返し、青森空港に送っていってもらいました。 20:45発のJALで羽田へ向かう。 22:00着 羽田空港着。 東京モノレール、電車を乗り継ぎ、帰宅しました。 |