平成16年12月 晴れ

新幹線で名古屋へ来ました。
11時すぎ、 名古屋駅に到着。
予約してあるホテルを探します。ホテルは、名古屋駅をでて歩いて5分ぐらいのところにありました。
ホテルに荷物を預けて観光に行きます。

東海道線の大垣行きの下りに乗ります。
新快速の電車で岐阜へ向かいました。

岐阜駅に到着。
岐阜駅前から、岐阜公園行きのバスに乗ります。
岐阜市内は、路面電車が走っています。
岐阜公園で下車。

 岐阜城がある金華山は、市街地の中に、急に山が突き出ているような感じです。


 岐阜公園
 公園内には、ロープウェー発着駅があります。その近辺は千畳敷と呼ばれ、戦国時代の斎藤道三や織田信長の居館跡です。
 常時は、城がある金華山の麓に住んでおり、金華山頂上の城は、非常時の詰めの城だったのです。
 千畳敷 … 戦国時代の斎藤道三や織田信長の居館跡


板垣退助像

 また、公園内には、板垣退助の銅像が建っています。
 板垣は、この銅像がある場所で講演を行い終了後に、左胸を刺客に刺されました。
 その時発した有名なセリフが、「板垣死すとも、自由は死せず」です。



ロープウェーで金華山頂上へ。約5分弱で頂上駅へ着きます。
ロープウェーは、大人往復で1050円
自分で歩いて登るとなると、約40〜50分かかるらしいです。

 金華山(稲葉山・標高338m)は岐阜のシンボルです。その山頂に岐阜城があります
この城は古くは稲葉山城といいました。鎌倉時代の建仁年間に、二階堂山城守行政が初めて、山頂に築城しました。
 その後一時廃城になり、近世的城郭にしたのは、斎藤道三です。「国盗り物語」の中では、道三が一代で美濃の国を乗っ取ったことになっています。しかし、最近の研究では、道三の父が美濃守護代斉藤家に取り入って家臣となり、その子である道三が斉藤・土岐氏に代わって、戦国大名に成り上がったことが明らかになっています。
 斉藤家の美濃支配は、道三・義龍・龍興三代で終わり、1567年尾張の織田信長が城を攻略しました。信長は井ノ口と呼ばれていた城下町を、岐阜と改めました。

ロープウェー頂上駅をでてから、岐阜城まで約5分ほど登ります。


 岐阜城
 入城料 200円

4層になっており、それぞれの階に、歴史関係の展示がされています。
最上階は、展望台になっていて、四方の景色がよく展望できます。
今日は、晴れで暖かいです。遠くは水蒸気で多少もやっていますが、四周360度方向がよく見えます。

 上の写真、右の川が長良川。






下りのロープウェーに乗って下山しました。


歩いて、岐阜大仏へ。

 岐阜大仏



 正法寺(黄檗宗)にある大仏は阿弥陀如来坐像で、38年の歳月をかけて1832(天保3)年に完成しました。

 周囲1.8mの木を柱に、木材を組み竹を編んで、その上に粘土をはり、さらに一切経はりつけ、その上に漆を塗り金箔で仕上げたものです。







 歩いてすぐの常在寺へ。
 常在寺


 常在寺(日蓮宗)は、室町時代、美濃国守護代の斉藤妙椿(みょうちん)が、1450(宝徳2)年に建てたもので、斉藤家の菩提寺です。
 道三の父長井新左衛門左右衛門尉が斉藤家に取り入ることができたのは、同じ斉藤家の出身で当寺4世日運の推挙があったからだそうです。二人は京都の妙覚寺でともに修業に励んだ間柄でした。寺には、斎藤道三・斉藤義龍の画像が残っています。


常在寺前から、バスに乗ります。
岐阜駅前に到着。

東海道線で名古屋に向かおうとしたら、人身事故により上下線が不通になっていました。

しかたなく、時間が経てば復旧すると思い、駅ビルで夕食を食べながら、ビールを飲みます。
夕食を食べ終わっても、電車は復旧していません。
しかたなく、名鉄名古屋本線で名古屋に向かました。新岐阜 → 名古屋
JRの代わりに、名鉄が振り替え輸送をしていました。

18:00すぎ、名古屋に到着。ホテルに帰りました