平成17年 2月12日(土)
今回の歴旅は、織田信長の関係する史跡をめぐる旅です。

新幹線で名古屋駅へ。
名鉄に乗り、熱田神宮へ向か。
神宮前駅で下車。歩いて熱田神宮へ。
駅前から歩道橋を渡って、熱田神宮はすぐです。


 熱田神宮

 歩道橋の向こう側に、うっそうとした森が見える。これが熱田の森で、クス・タブなどの常緑広葉樹やムク・ケヤキなどが茂っています。ここが古くから「熱田さん」「宮」とよばれる熱田神宮です。
 祭神の熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙剣を御霊代とする天照大神のことで、天照大神のほか相殿神として素戔嗚尊・日本武尊・宮簀姫命・建稲種命が祀られています。この5柱は「五座の大神」「五神様」ともよばれています。

 東征をなしとげた日本武尊は、建稲種命の妹の宮簀媛を妃としたのち、草薙剣を媛に預けて伊吹山に出陣しました。しかし病に倒れ伊勢国能褒野で亡くなりました。そこで媛は、この熱田の地に社を建てて剣を剣を奉安することにしました。これが熱田神宮の創祀とされています。
 神宮の境内は約19万平方mの広さをもち、緑深い森のなかに本宮をはじめ別宮1社・摂社8社・末社18社が祀られています。本殿の構造は伊勢の皇太神宮(内宮)にならって神明造です。
 太平洋戦争で主要な社殿はほとんど焼失したましが、戦災を免れた古い建造物として、5代将軍徳川綱吉の再建になる西楽所や清雪門、南新宮社などが残っています。
 神域も広い大きな神社です。今日は土曜日ですが、参拝に来る人々がたくさんいる。流石に歴史がある大社です。

信長塀
 第3鳥居手前の信長塀は、桶狭間出陣の折り、戦勝を祈願した織田信長が合戦後奉納したとという築地塀で、土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねてつくられています。
 今でも信長が造らせた塀が残っているとは、すごいです。




所在:名古屋市熱旧区神宮1-1-1 mapion

 神宮前駅から名鉄に乗り、また名古屋駅に戻ります。
 駅ビルで昼食をすませ、地下鉄に乗り名古屋城見学に向かいます
 地下鉄を1回乗り換えて、市役所前で下りる。

 名古屋城
 名古屋城は、とても広いエリアを持っています。
 太平洋戦争で、天守閣・小天守閣・本丸御殿が焼失してしまったのは、残念です。今残っていれば、国宝級だったでしょう。太平洋戦争時は、たくさんの方も亡くなり、貴重な文化財も灰燼に帰しました。
 名古屋城(国特別史跡)は、徳川家康の命によってできたものです。名古屋の町づくりも、この築城とともにここから始まります。
 この地には、大永年間(1521〜1528)に今川義元の父氏親が築城しています。その後、織田信秀さらに織旧信長の手に渡り、「那古野城」と呼ばれ、信長が西春目井郡清洲町にある清洲(須)城に移ってからは荒れ果てていました。


那古野城址の石碑
 名古屋城は、この地に徳川家康が第9子の義直を尾張藩主とした際、その居城としてつくらせたものです。築城工事は1610(慶長15)年から始まりました。
 名古屋城は代表的な平城で、城地は、本九・二の丸・三の丸・西の丸・御深井丸の五つにわかれています。本丸は城内ほぼ中央に位置し、周りを堀で囲っています。ここに高さ約48m、5層の大天守閣と2層の小天守閣があり、この間を橋台で結ぶ連結式天守です。

名古屋城天守閣
 昔の天守閣・小天守閣ともども、1945(昭和20)年戦災で焼失し、現在の天守は1959(昭和34)年再建されたものである。なお、大天守閣には展示室があります。
 城の前にクレーンがあり、写真の写りが損なわれます。
東南隅櫓(国重文)
西南隅櫓(国重文)
西北隅櫓(国重文)
 西北隅櫓は清洲(須)櫓ともよばれ、清洲(須)城の小天守閣を移したものといわれています。
本丸廻りの内堀には、水が無くて、なぜか鹿が何匹か放し飼いになっていました。

所在:名古屋市中区本丸1-1 mapion