平成17年3月 曇り
 新幹線で三河安城駅で下車。
 そこから、東海道線の三河安城駅は、歩いて1分ぐらいのところです。
 東海道線で岡崎駅へ。
 歩いて、犬頭神社を探す。正確な位置を確認してこなかったので、迷ってしまいました。
 30分弱歩いて、やっと見つけました。

 犬頭神社(糟目犬頭神社)
 この神社は、701年今の上和田にあたる糟目というところに建てられたので、糟目神社と呼ばれていました。しかし、たびたび洪水にあったため、現在地に移されたと伝えられていいます。
 境内には、越前鯖江産の凝灰岩の狛犬、唐猫、鳥居などの石造文化財や、本多作左衛門重次の墓、新田義貞の首塚と伝えられる祠があります。
社名 大和田島弁財天
祭神 市杵島姫命

 この島は、犬塚と称し、今より640年前、南朝方の宇都宮泰藤公が、新田義貞の首を京都より奪い埋めて犬頭神社を祀ったと伝えられています。
 その後久しく荒廃していましたが、篤志家と氏子崇敬者の請願により神殿を造営、神橋鳥居を建築神池を整備したものです。
 新田義貞は、1338年7月福井県福井市新田塚町付近で戦死しています。首は京都に運ばれて、さらし首にされました。
 新田義貞の墓といわれるものは、ここ以外にも何箇所かあります。

 岡崎駅から、愛知環状鉄道に乗ります。
 中岡崎駅で下車。歩いて岡崎城へ向かいます。
 途中で、お腹がへってきたので、食事できる所を探しました。食堂があったので入り、みそ煮込みうどんを食べました。暖まりました。

 岡崎城
 矢作川の支流の乙川と伊賀川に囲まれた段丘の先端が、徳川家康誕生の地です。
 現在では本丸・二の丸を含む一帯が岡崎公園として整備され、多くの観光客でにぎわいをみせています。
本丸へ渡る橋から。
水が豊富な外堀があります。
 1542(天文11)年12月26日、幼名竹千代、後の家康がこの城内で産声をあげました。 本丸への坂道のわきには胞衣(えな)塚があります。
 本丸西の低地には産湯の水をくんだ産湯の井戸もありました。
 二の丸跡の広場中央には関ヶ原の戦いから江戸城整備の頃という円熟期の家康像が立っています。
 また、ここには歴史資料館三河武士の館があります。
 この地に本格的な築城を行ったのは、安祥から岡崎に入った家康の祖父松平清康で、その時期は清康の勢力が強大化した1530(享禄3)年頃と考えられています。
 本丸天守閣は1617(元和3)年、本多康紀によって建てられたもので、3層3階地下1階の複合天守閣でした。しかし、明治6・7年に取り壊されました。
 現在のものは1959(昭和34)年に復元されたもので、建物内部は歴史資料館となっています。5階の展望室からは三河平野が一望できます。

今日は、岡崎で観光を終え、三河安城駅前のホテルにチェックインしました。