平成17年8月、新幹線で京都へ来ました。

 今日は、世界遺産の西芳寺を拝観します。

 土曜日に、 AM8:16 京都駅前から、苔寺行きのバスに乗ります。
 事前に西芳寺(苔寺)への拝観を申し込んであります。
 西芳寺は、事前に拝観を希望する日の7日前までに、往復はがきで申し込む必要があり、西芳寺から、拝観を許可するはがきが来て拝観可能となります。
 西芳寺近くまで、バスで約50分以上かかりました。バス料金は260円。長く乗ってる割には安いバス料金です。
 9:05 西芳寺近くの、バス駐車場に到着。
 10時からのの拝観だったので、駐車場のベンチに座って時間を調整します。


 西芳寺

 9:45 西芳寺の門前へ。お寺の方が入り口に待機しており、10時からの拝観者を、寺の中に入れてくれていました。拝観許可のはがきには、拝観時間はトータルで1時間と書かれています。




 本堂(西来堂)に入り、入り口で、拝観料3千円を支払うと、以下の4点を渡されます。
  • 般若心経(お経)
  • 坐禅和讃(お経)
  • 西芳寺庭園案内図
  • 供養木板
 本堂の中に入ると、緋毛氈がひかれており、その上に文机・硯・筆・文鎮があります。
 ほとんどの拝観者の方が10時前に本堂に入ってきました。一回の拝観は100人定員のようです。
 10時から、お坊さん3人が、般若心経を3回繰り返し、坐禅和讃を1回、読経しました。拝観者の方で、一緒に読経できる人がいました。この方はお坊さんだろうか。
 10:10 読経が終わり、西芳寺の歴史の説明をされます。
 その後、供養木板に願い事を、筆で書いて、ご本尊の前に奉納します。
 10:25〜 やっと、これで、庭園の鑑賞ができるようになりました。

 庭園近くの観音堂前で、お坊さんが庭園の説明をしてくれます。
 その後は、拝観コースは決まっていますが、各自のペースで庭園を鑑賞できます。
 西芳寺は、創建については不明で、聖徳太子別荘説、行基創建説があります。
 その後、建久年間(1190〜1199)年に鎌倉幕府の評定衆をつとめた中原師員が再建し、法然を招請したと伝えます。
 建武の兵乱で荒廃したが、師員の子孫で室町幕府の評定衆をつとめた中原親秀が夢窓疎石を招いて復興し、臨済宗の西芳寺としました。夢窓疎石は、仏殿に「西来堂」の額を掲げ、その南に瑠璃殿と称する舎利殿、湘南亭、潭北亭を配しました。さらに池を拡張し、谷間の水を注ぎ、邀月(ようげつ)橋をかけ、名木奇岩が人々の目を奪いました。そのなかを舟行する人々は、人力のよくする所でないと感激したといいます。また、山腹には指東庵を建て、当初からあった石を利用して、庵のかたわらに豪壮な石組の枯山水をつくりました。

 この庭園の美しさ中国にまで聞こえ、日本の作庭界にも大きな影響を与えました。光厳・光明の両上皇をはじめ、足利将軍家もしばしば西芳寺を訪れ、特に足利義政は東山山荘の庭園造園の際に、西芳寺の庭を模範としています。
 こうして寺運も興隆したが、応仁の乱後は荒れるにまかせ、蓮如が庭の復興に努めました。
 現在の庭園(国史跡・国特別名称)は、上の枯山水と、下の黄金池を中心として4島8橋をもつ池泉回遊式とにわかれる。近世から苔に覆われ始め、現在、下の庭は緑のじゅうだんを敷きつめたような美しさで、池や木立が幽玄な雰囲気を醸し出しています。 西芳寺の苔は120種類あるといいます。

下段の庭園の黄金池へ。



 黄金池
向こうに見える島が、朝日ヶ島






池泉回遊式庭園の心字池で、こんなに大規模な庭園は始めて見ました。さすが、世界遺産です。
すべて人工に造ったわけではなく、最初に、このような似た地形があり、それに造作を加えたのでしょうか。
 池と木々と苔が織りなす雰囲気が幻想的です。こんなところで、夕方に舟遊びをしながら、宴ができたら、どんなに素晴らしいでしょう。











夕日ヶ島




苔がビロードのようにきれいです。かなり入念に掃除をされているのでしょう。






上段の枯山水式庭園へ。

山裾の道を登ってゆきます。

 指東庵


 枯山水式庭園





枯山水というから、白砂がある庭園かと勘違いしていました。
豪壮な自然石を組み合わせた庭園です。

11時過ぎに、西芳寺をでました。拝観料3千円が高いのか、安いのかは、人によるでしょう。
1回は、拝観する価値があると思います。

暑いので、西芳寺をでてすぐの所にある喫茶店に入り、ビールを飲みました。
店内に人なつっこい猫が一匹いて、床で寝ころんでいました。
お店のおばさんに聞いたら、今の時期は、拝観は午前10時の一日一回だけといいます。午後は暑いから拝観には向かないでしょう。
最盛期にだけ、一日二回か三回の拝観を行うそうです。

歩いて、5分ぐらいの地蔵院へ向かいます。

 地蔵院(臨済宗)


 地蔵院は、竹の寺として知られ、本尊は地蔵菩薩です。


 1368(応安元)年、室町幕府の管領細川頼之が、帰依していた西芳寺の碧潭周皎(へきたんしゅうこう)宗鏡禅師の師である夢窓疎石を開山として創建しました。北朝歴代の勅願寺に準ぜられ、寺領の寄進が相次ぎ、末寺26ヶ寺を数える大寺に発展したが、応仁の乱で西軍の兵舎となり焼失、その後再建されましたが、しだいに衰退し、1704(宝永元)年に中興されました。
 現本堂は1935(昭和10)年の再建、頼之・夢窓らの木造を安置します。方丈前庭は、二重数個の石をおき十六羅漢の庭といいます。
竹林には蚊がたくさんおり、立ち止まっていると、蚊がよってきて刺され痒いです。

       地蔵堂


地蔵堂の左手に、細川頼之墓という細川石があります。

  細川石   細川頼之墓所




木の根本にある自然石です。

方丈前庭の十六羅漢の庭を見学しましたが、写真撮影は禁止されていました。
それほど広くはない庭です。

バスに乗り、京都駅へ戻りました。