平成17年 9月下旬の月曜日  晴れ のち 曇り
 滋賀県安土町へ。
 安土駅前のロータリーに織田信長の銅像があります。


 桑実寺へ向かいます。

 桑実寺(天台宗)
 滋賀県蒲生郡安土町桑実寺675

 桑実寺は,繖(きぬがさ)山の山麓にあり,寺まで車で行けません。麓に車を停めて,参道の石段を自分で登ってゆかなければなりません。つまりは,繖山登山の途中に,桑実寺があるという感じです。


 参道の石段がきついです。本堂の前まで15分かかりました。
 参拝料(入山料)300円です。愛想の無い年配のお坊さんにお金を支払います。
 本堂は重要文化財です。本堂の中の内陣まで入ることができました。

 桑実寺は,天智天皇の勅願で,白鳳年間に建立されたといわれ,1532(天文元)年の土佐光茂筆紙本著色桑実寺縁起2巻(国重文)には,藤原鎌足の子定慧(じょうえ)法師が中国へ留学し,桑の実を持ち帰って植え,養蚕を教えたのでこの寺名が起こったと記されています。本尊は薬師如来です。
 本堂(国重文)は南北朝時代に建立され,室町前期の手法を示す建築で,5間に6間の単層入母屋造・檜皮葺です。室町時代には,戦乱を避けた12代将軍足利義晴がしばらく桑実寺に逗留したことがありました。

  本堂の右手の階段を登ってゆくと,観音寺城の搦手口に着きます。

 桑実寺から繖山へ向け山道を登ってゆきます。石を使用した登山道で,よく整備されています。


 桑実寺から20分ほど歩いて,観音寺城跡の本丸跡に着きます。

 観音寺城跡
 滋賀県蒲生郡安土町石寺

 観音寺城は、日本一の巨大山城です。繖山のところどころに石垣が散在しています。
 この城は,近江守護,近江源氏佐々木氏の居城であり,のち佐々木氏が六角・京極の二流に別れたのちは,本家の六角氏の居城となりましたた。築城の年代はわかりませんが,1468(応仁2)年六角高頼が家臣伊庭行隆・山内政綱らに命じて築城させたと伝え,以後しだいに整備され,典型的な山城となりましたた。
 永禄十一(1568)年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛軍を発した際に,六角氏はこれに帰属せず、信長と対立、九月十二日に支城の箕作城が陥落し,これにより六角父子は観音寺城を逃れ,信長は観音寺城を無血占領しました。城はその後も存続したが,安土城炎上とともに消滅したといわれています。

観音寺城 本丸跡


観音寺城本丸跡から歩いて5分ほどで,観音正寺に着きます。

 観音正寺
 滋賀県蒲生郡安土町石寺2

 繖山の山腹に,西国三十三所の三十二番札所の観音正寺があります。開基は聖徳太子と伝えられています。「観音正寺縁起」には,人魚が聖徳太子に苦しみを救ってもらいたいと訴えたので,太子はその願いを聞き届け,この寺を建立したと記されています。その因縁から寺には人魚のミイラと称するものがありました。
 本堂は1882(明治15)年,彦根城の欅(けやき)御殿を拝領したものでしたが,本尊の千手観音立像とともに,平成5年5月22日焼失してしまいました。

 本堂は平成15年に再建されています。本堂には,丈六の総白壇千手千眼観世音菩薩彫像があります。白壇はインド原産の木で,輸出制限があるが,彫像のために特別輸入したものです。

観音正寺から,近江平野の眺め


 観音正寺から,繖山の山頂へ向かいます。標高433mです。
 観音正寺と観音寺城本丸跡の中間から,繖山山頂へ登る林道があります。
 入口に,
 「復旧治山事業等の工事中により危険なため関係者以外の入山を禁止します。
                   繖山系保全林管理促進協議会」
 とうい看板がありましたが,気にせず登っていきました。
 途中,どこにも工事しているような箇所は無いし,普通の山道でした。

 繖山山頂に三角点があります。


繖山山頂付近から,琵琶湖が遠望できます。


安土城跡の山が見えます。(写真の真ん中の小高い山)


 帰りは,もう一度観音正寺に出る林道を歩いて,観音寺城跡本丸,桑実寺と戻ってきました。
 最近,運動不足だったので,かなりばてました。