平成17年11月京都へ。

 今日は、京都市内を観光しました。


 金閣寺



 応永4年(1397)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。
 義満の死後、その子義持により禅刹に改められ、義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになります。 大半の建物は応仁の乱などに焼失し、北山文化唯一の遺構であった金閣も昭和25年(1950)に一人の学僧によって放火され焼失してしまいました。現在の建物は昭和30年に再建されたものです。


 今まで気づきませんでしたが,金閣は,池、庭園がとても素晴らしいです。









 金閣の前にある鏡湖池を、中心とし、葦原島など大小の島々や、当時の諸大名がきそって石を献納して、名が付けられた畠山石や赤松石・細川石などの名石が配されています。







 金閣は、初層は寝殿造りの「法水院」、2層目は武家造りの「潮音洞」第3層は唐風の「究竟頂」となっており、三つの違った様式をとっています。屋根の頂点には、鳳凰の彫刻がすえられています。





 宝篋院


 宝篋院には、室町幕府2代将軍足利義詮の墓所で楠正行の首塚がその右側にあります。
 二人はともに南北朝争乱期の武将で、お互い敵同士でした。その義詮の法号「宝篋院」を山号として建立された寺です。





左が2代将軍・足利義詮の墓、右が楠木正行の墓