備中高松城跡 〜 名を高松の苔に残して 〜
  所在地:岡山市高松

 雨の中,備中高松城へ来ました。寒いです。
 織田信長の毛利攻めの司令官である豊臣秀吉は,毛利方の備中高松城跡が三方を湿地に囲まれ難攻不落なので,奇想天外な水攻めを開始しました。
 堤敷22m,高さ7m,延長約3kmの築堤を12日間で完成したといいます。

 この備中高松城を間にして,秀吉の織田軍団,毛利軍が対峙し,戦線は膠着状態となっていました。
 しかし,織田信長が本能寺の変で死んだ情報をいち早く得た秀吉は,急いで毛利との和議を成立させ,京都へ向かって,世に名高い「中国大返し」を敢行します。

蛙ケ鼻
ここは,築堤の始まりの山際です。
秀吉の弟・豊臣秀長の陣地がありました。

今でも,築堤の一部が残っています。
蛙ケ鼻を横から,断面的に見たところです。
 備中高松城跡へ移動
今でも,城跡の周りに池があります。
本丸跡へ向かいます。
本丸には,桜が咲いて,満開でした。
清水宗治の首塚

 この時の城主,清水宗治の首塚です。
 織田・毛利の和議の条件として,城兵の命を救うため,清水宗治が自刃
しました。
清水宗治の首塚

首塚から,少し歩いた民家の間に,胴塚があります。

清水宗治の辞世の句
「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の
  名を高松の苔に残して」
 吉備津神社  岡山市吉備津

 おとぎ話「桃太郎」のモデルといわれる大吉備津彦命を祭神とし,平安時代にはすでに備中一宮として,歴代の朝野に崇められていた由緒ある神社です。
 本殿は屋根が特異な「吉備津造り」で国宝です。
 (国宝本殿・拝殿は平成20年9月まで屋根葺替工事中)
雨のなか,吉備津神社に来ました。
ここも,桜は満開です。
しかし,寒いです。
吉備津神社の回廊は,長く続いています。古社の趣があります。
 国宝の本殿・拝殿は平成20年9月まで屋根葺替工事中でした。
 本殿・拝殿は,室町3代将軍 足利義満の命により建築されました。

 この後,あまりに寒く,雨は止みそうに無いので,観光を中止し,ホテルに帰りました。