四国 第4日目

平成18年10月2日 徳島 徳島市内のホテルを車で出発。
まだ、ちょっと小雨模様です。
今日は、足利将軍の末裔の跡を見学に行きます。  
 平島公方館跡
徳島県那賀川町に、平島公方館跡があります。
平島公方とは、室町幕府14代将軍 足利義栄の弟の子孫です。
京都の天竜寺の領地があったため、ここに住み、いつの日か京都に上り将軍となることを夢見て、阿波公方、平島公方と呼ばれました。
写真は、那賀川町歴史民族資料館。
平島公方館跡は、現在、田圃の中にぽつんとある塚です。ここが館跡です。
世が世なら、もしかしたら、将軍になれたかもしれない家系です。
平島公方は、江戸時代末の1805(文化2)まで、この阿波(徳島)におり、その後、京都へ戻っていきました。
 西光寺
平島公方の菩提寺が、西光寺です。
平島公方の一族の墓が所狭しと並んでいます。
ここに、室町幕府 10代将軍 足利義稙、14代将軍 足利義栄、平島公方 足利義冬 と三人の墓が並んでいます。
室町将軍は、歴代の後半になると、亡くなる場所が、京でない将軍がでてきます。
足利義稙は、細川高国と反目して、京都から諸国を流浪し、現在の鳴門市で亡くなりました。
足利義栄は、将軍とはなりましたが、京に入れず、鳴門に戻り亡くなりました。
 地蔵寺
 山門は大坂夏の陣があった1615(元和元)年の建立で、市内の建造物では最も古いものです。
 本堂(県文化)は那賀川河口の平島公方が住んでいた建物を買いとって移築したものです。
 丈六寺
この寺は、阿波の正倉院と呼ばれています。重要文化財の建物・仏像があります。
三門
三門(国重文)は、室町時代末期の建造といわれ、徳島県最古の木造建造物です。
本堂
観音堂、本堂、経蔵も重要文化財です。
この寺は、細川氏の庇護を受け、細川氏の力が衰えて後は、蜂須賀氏の庇護を受けました。
この寺は、建築物が古く、いい雰囲気です。
たぶん、休みの日には、観光バスで見学が来る方が多いと思います。
今日は、月曜日なので、私以外に観光客はいません。
観音堂
観音堂には、丈六の木造聖観音坐像(国重文、立てば1丈6尺、約5m、座高8尺で約2.6m)が安置されています。寺名はこの丈六仏からきています。この観音坐像は、大きいですね。
細川一族の墓
 徳島城跡
 豊臣秀吉の四国征伐に戦功をあげた尾州の蜂須賀正勝は、阿波一国を与えられたが老齢のため辞退、嗣子家政が代わって賜わりました。
 天正13年(1585)蜂須賀家政は大規模な平山城を起工。長宗我部元親、小早川隆景らの助けを得て翌14年に完成しました。
 以来明治に至るまで蜂須賀氏累代の居城として栄えた。当時の建物はなく、石垣、礎石が残っているだけで、徳島公園として市民に開放されています。
 勝瑞城跡(現・見性寺)
  承久の乱後に,阿波国守護になった小笠原氏は、この地に守護所を設けました。
 室町時代に守護となった細川氏は、守護所を秋月城(土成町)からここに移し、勝瑞城と称しました。城下に50ほどの寺院ができ、四国最大の守護町が形成され賑わいました。
  1552(天文21)年,細川持隆は、執事の三好義賢と対立して謀殺され、その後は戦国大名三好氏の居城として栄えました。
 三好氏が衰えた後は廃城となり,1585年阿波に入った蜂須賀家政は、徳島城の早期築城をすすめるため、廃城となた勝瑞城から石材や建造物の一部を持ち去りました。
 城跡の旧本丸部分には,三好家の菩提寺である見性寺があり,三好氏累代の墓があります。
 勝瑞城跡は,中世城郭には珍しい平城です。
 光勝院
 光勝院は、室町時代の守護細川頼春の菩提寺で、開山は名僧夢窓礎石と伝えられる禅宗の寺です。
頼春の墓は、高さ2m余りの花崗岩で、1352(観応3)楠木正儀の軍と戦い戦死した頼春のために長子頼之が立てたものです。
 霊山寺
 815年、空海は人間の持つ八十八の煩悩をなくそうと四国霊場を開く願いをたてる為に訪れたとされています。
 巡礼者が巡拝を始める前に満願成就を祈る発願の寺、一番さんといわれる、第1番札所です。
この寺の隣には、巡礼の七つ道具が何でも揃っている売店があります。
 極楽寺
 極楽寺は、霊山寺の西、約1kmのところにある四国霊場第2番札所です。朱塗りの仁王門をくぐると美しい日本庭園が広がり、その先に弘法大師が植えたという長命杉があります。

今日は松山宿泊なので、徳島道〜松山道を経て、松山市内へ向かいました。