平成18年11月10日(金)

新幹線に乗り、関西へ2泊3日の観光です。
今日は金曜日ですが、私は休みです。代休処理です。
平日に休んで旅行に行けるのは、うれしいですね。

 真田山公園 【真田丸跡】 
大坂冬の陣で、真田幸村の真田軍が陣取った場所です。
 真田丸は、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣において、豊臣方の真田幸村が大坂城の平野口に構築した出城(曲輪、防御構造物)です。
 単独で機能する小城砦で、甲州流築城術の丸馬出を導入しました。

 真田幸村の銅像
宰相山西公園にある三光神社の脇にある、真田幸村の銅像です。
采配を振っている幸村が、かっこいいです。     

 心眼寺 
心眼寺は、白牟和尚が真田幸村と大助の冥福を祈るために創建したといいます。   
心眼寺の定紋は真田家の六文銭と定められて、山号も「真田山」です。   
心眼寺の隣にある大応寺の千手観音

 鎌八幡(円珠庵)
 大坂冬の陣で、真田幸村がこの地一帯に真田出丸を構えたが、この樹霊に鎌を打ちつけ戦勝祈願をされたといわれ、以来、人々は「鎌八幡」と呼び、世に広く信仰を得るようになりました。      

 難波宮跡

古代の大坂は、難波「なにわ」とよばれていました。その中心となるのは、現在の大坂城から 四天王寺にかけての上町台地上でした。
 その最も高い位置にあたる大坂市中央区法円坂の地に、難波宮の遺跡は広がっています。40余年におよぶ 発掘調査により、ほぼ同じ場所に、二つの時期の宮殿がつくられたことが明らかになりました。
 このうち先行する宮殿を前期難波宮です。この宮殿は「大化改新」による難波遷都の後、650年から造営が始められた 難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)であると考えられています。      
 そして後期難波宮と呼ぶもう一つの宮殿は、聖武天皇が難波復興の中心事業として、神亀3年(726年)から造営を行った難波宮であることがわかりました。
     
 宮殿の中心部の約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられています。

 大坂城

本々この地には、浄土真宗の石山本願寺がありましたが、織田信長との石山合戦により、結局門徒は退去することになりました。
後、この地に豊臣秀吉が大坂城を築き、豊臣政権の本拠としました。
大坂城は、大坂夏の陣で焼失、豊臣氏が滅亡した後再建され、徳川幕府の西日本支配の拠点となりました。
大坂城は、豊臣氏が築城した当初の城と、その落城後に徳川氏が再建した城とで縄張や構造が変更されています。
 現在地表から見ることができる縄張はすべて、江戸時代のものです。
 しかし、堀の位置、門の位置などは秀吉時代と基本的に大きな違いはないそうです。
 本当に大きな堀、高い石垣です。
 徳川幕府の天下普請によって建設されたものです。
大きな一枚岩の石垣があります。
石山本願寺の跡です。
昭和の再建により、1931年に竣工しました。昭和以降、各地で建てられた復興天守の第一号です。大阪市のシンボルとなっています。   
建物は、徳川大坂城の天守の石垣基礎上に、鉄骨とコンクリートで建てられ、天守閣の中は大阪城天守閣博物館になっています。
 ちょうど木々が紅葉が始まっていました。
大坂城天守閣は、近代的、かつ、きれいです。エレベーターもあります。
「真田幸村と大坂の陣展」が、大坂城天守閣で開催されています。これを目当てにきたのです。
東軍・西軍の軍勢が陣取っている「大坂夏の陣図屏風」が展示されています。
徳川家康や有名な諸大名の顔まで分かるよう描かれています。
真田幸村軍は、四天王寺近くに陣取って、幸村・大助がいます。
幸村関係の展示では、幸村、父昌幸の画像、幸村の甲冑、書簡などが展示されてます。
真田幸村の甲冑は、黒っぽかったです。赤備えではないです。赤が、落ちゃったのでしょうか。

幸村が、姉に出した書簡に、「さだめなき浮世なので一日先のこともわかりません」と夏の陣の前に書いています。
大坂城に入城して、勝つ可能性が少ない戦に向け、残る人生の日々を送っていたんですね。
人間、幸村の一端を見れて、よかったです。

兜・陣羽織試着体験が、300円でやっていました。
復元した戦国武将の兜を、陣羽織と共に試着し、写真撮影できるというものです。
これ、今回の企画展示だけだと思ったら、いつもやっているようです。

私が、やろうかどうか悩んでいたら、若い女の子が試着体験を申し込みました。
真田幸村の兜、赤の陣羽織を着て、自分のデジカメで撮影してもらっていました。ああ、この子は、真田幸村のファンなんだなあ〜と思いました。(^_^)
恥ずかしかったんですが、私も意を決して、申し込みました。
どうせ、知らない人ばかりだと思って。(^^;)
私も、せっかくだから、真田幸村の兜、赤の陣羽織を着て写真を撮ってもらいました。

ここまで、ほとんど、歩きっぱなし、立ちっぱなしだったので、もう体力が尽きかけて、ホテルに向かいました。