平成19年5月2日

今年のゴールデンウィークは,車で、滋賀〜北陸周りで旅をする予定です。

今朝,1時過ぎ,茨城を車で出発。常磐道,首都高速,東名自動車と走り,大津で降りました。
車は大津市内の駐車場へ停めて,大津駅からJR東海道本線に乗り,嵯峨嵐山駅に来ました。

 天龍寺
現在,天龍寺で,開基足利尊氏公六百五十年忌 『尊氏と天龍寺』展を開催していました。
展示品の半分ぐらいが,足利尊氏に関するものでしょうか。

「足利尊氏と天龍寺展」を見学して、天龍寺の庭園を鑑賞しました。
天龍寺の曹源地庭園、私好きなんですよ。いつ来てもいいです。
 曹源池(特別史蹟名勝)
 ちょうど新緑できれいです。
 5月なので,ツツジがきれいです。
 関口神社
 顕本寺(けんぽんじ)
開山は日浄。
 第12代将軍の足利義晴を擁する細川高国に対抗して、1527年に細川晴元と三好元長が阿波から足利義維を堺につれてきた際には、この顕本寺を本拠としました。
(足利義維は,堺公方または堺大樹と呼ばれる)
しかし、その後晴元は元長と袂を分かち、1532年に一向一揆衆を差し向けて堺の元長を攻め、敗走した元長はこの寺で自害。後ろ盾のなくなった足利義維は阿波へ去りました。
 1615年の大阪夏の陣の兵火で、寺は焼失。再建された際に、現在の場所に移りました。
所在地:堺市堺区宿院町      
 南宗寺
河内飯盛城主・三好長慶(みよしながよし)が父、三好元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557年)、大徳寺90世の大林宗套を開山として創建したものである。
      
 創建当時は堺市宿院町付近にあったと伝える。天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、さらに慶長20年(1615年、7月に元和と改元)の大坂夏の陣では堺の市街とともに焼失したが、その後、当時の住職であった沢庵宗彭によって現在の場所に再興された。
 現存する仏殿、山門などは沢庵の没後、17世紀半ばに整備されたものである。
千利休供養塔
三好一族の墓
徳川家康の墓?
この寺の伝承では、家康は、大阪夏の陣で真田幸村に攻められ、後藤又兵衛の槍にかかり死んで、この寺に葬られたといいます。