平成19年5月3日 滋賀県

今日は、大津を出発して、湖西、湖北を廻りました。

国道161号に入りました。無料の一般国道なんですが、構造は高速道路のようです。片側2車線です。
しかし一車線区間に入ると、とたんに渋滞が始まりました。
がまんができずに、琵琶湖畔の一般道路に下りました。こちらは、スムーズに車が流れています。

 白髭神社
広島の厳島神社のようです。琵琶湖の湖の中に、鳥居が建っています。いい雰囲気です。
湖の水が透きとおっています。湖西、湖北は水がきれいなのでしょうか。
ちょうど春の祭りをこれから開催するようで、神社で儀式を執り行っていました。

 白髭神社は,「近江の厳島」とも呼ばれています。
 延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通女全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての導きの神です。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。
 近江最古の神社といわれ、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命により、その子秀頼が造営したものです。

 興聖寺(足利庭園)
 興聖寺は、滋賀県の安曇川(あどがわ)上流、高島市朽木にあります。
 この寺の庭園を見るのが今日のメインです。拝観料は300円です。
 鎌倉時代初期、宋から帰国した曹洞宗の開祖、道元が朽木の里を訪れたとき、付近の風光明媚な様子が宇治の輿聖寺に酷似していると大変感激して、領主の朽木氏にこの地に一寺の創建を勧めたのが始まりといわれています。

享禄元年(1528年)12代将軍足利義晴は、三好元長反乱の難を避け、朽木稙綱を頼って享禄4年(1531年)まで朽木谷に滞在していた間、朽木一族を始め、京極高秀や浅井亮政、朝倉孝景らの協力のもと、管領 細川高国が将軍を慰めるためにこの庭園を贈った。面積234坪の武家書院の蓬莱池泉式庭園。池には鶴亀の島を配し、楠の化石の石橋を渡す。安曇川の清流と比良山系を借景とした静かな佇まいを誇る。      
 本尊の木造釈迦如来坐像は、平安時代中期の最澄の名作と伝えられる古式の優美な仏像で、重要文化財です。
足利庭園
興聖寺の境内にあり、足利将軍、12代足利義晴、13代足利義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園です。国名勝に指定されています。
庭は、将軍を慰めるという目的で意匠を尽くして作られた、細川高国の代表作といわれています。

同じく、細川高国の作庭といわれる、三重県津市の北畠神社の庭園よりも規模は小さくこぢんまりしていますが、見ていて飽きないです。
 人の手で造りながら、自然の造形美を表しています。お寺の向かい側の山を借景としています。
曲水の池の中を、山からひいた清冽な水が流れ、水の中に椿の花が落ちて流れています。

 朽木陣屋跡      
 村木氏の陣屋跡です。関ヶ原の戦い以後、徳川幕府の譜代大名格の待遇を受けた朽木氏が領地内に設けた館舎です。本丸・二の丸・三の丸をはじめ、御殿・侍所・剣術道場・馬場・倉庫などが建っていたといわれています。
 明治維新とともにすべての建物が取り壊され、現在は、堀・土居・石垣の一部と2ヵ所の井戸が残っているだけです。

 安楽寺
 かつて藤原不比等の別荘地であった場所に、鎌倉中期、安楽精舎を建立したのが始まりです。開山は、東福寺の開祖聖一国師の高弟仏智禅師によります。足利尊氏の庇護を受けて、一時隆盛を極めましたが、戦国時代、姉川合戦の折に焼失、江戸時代初期に、彦根藩主井伊直孝によって再建されました。現在は、臨済宗妙心寺派の寺院です。      
 その昔、今から約650年ほど前、足利尊氏が北国街道を進軍中、この付近で急に馬が進まなくなりました。このお寺の和尚さんにたずねたとろ、ある石にたたりがあるということです。
「足利尊氏の爪墓」
 尊氏は、この石をお寺に納めて供養をお願いしたところ、馬は進むようになりました。尊氏はこれを喜び、お寺に三百石の御朱印と長刀を贈りました。そして「自分が死んだら自画像と位牌を安楽寺に贈り、爪を埋めて供養してくれ」という遺言を残しました。寺には尊氏の爪のお墓が残っています。
安楽寺 夢窓国師の作庭園
 夢窓国師の作と伝えられる庭園は、琵琶湖を模した池を中心とする山水廻遊式鶴亀庭園です。当時は珍しい小山のような築山を設け、須弥山式石組や刈込み、白川砂を配した、滋賀でも指折りの名園です。

 姉川古戦場跡      
この後は、湖北の長浜市へ行き、姉川古戦場跡を見学しました。
織田信長・徳川家康VS朝倉義景・浅井長政の決戦場でした。
かろうじて、織田・徳川軍が勝ちます。
姉川の現在の流れは、河原の幅は広いですが,細々と水が流れているだけです。

この後は、孤蓬庵へ廻ります。

 孤蓬庵
 近江孤篷庵
 1653年に京都大徳寺の僧江雲が開いた寺で、当時の小室城主小堀正之が父正一(小堀遠州)の菩提を弔うために建立したものです。
 小堀遠州(1579〜1647年)は、江戸時代の茶人・造園建築家で、多芸多才であり、徳川秀忠・家光二代わたり茶道師範をつとめ、遠州流の祖となりました。造園は大徳寺孤篷庵、桂離宮、竜光院密庵等が有名です。
     
庵の名である孤蓬は、遠州の号で、「一隻の葦舟」という意味もあります。
左下の石が川を行く葦舟を表しており、ここからこの庵の名がつけられました。
池泉廻遊式庭園
中央の池は琵琶湖の形を模しています。残念ながら濡れ縁からはその形は正確にはわかりません。
枯山水の庭園
庭園の奥に、三尊石があります。      
寺は,山際にあるので、もうちょっとすると、蚊がうようよでてきそうです。

今日の観光はこれで、打ち止めにし、高速の北陸道で,今日の宿泊地福井市に向かいます。