平成19年6月 岩手県平泉

 毛越寺

〜 平安時代の作庭の秘伝書「作庭記」の世界 〜

 毛越寺は、「もうつうじ」、「もうつじ」と読みます。なかなか、そうは読めませんね。
 毛越寺は、慈覚大師円仁の開山で、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました。
 最盛期には、堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
 しかし、源頼朝の奥州攻めにより、藤原氏は滅亡しました。
 藤原氏という保護者を失い、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失してしまいました。
 現在、浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の指定を受けています。
亀島と出島
 大泉ヶ池。
 広大な池泉です。
 築山
 水面より約4mの高さに築かれています。
 作庭記に書かれている「枯山水の様」の実例と言われています。
 洲浜
 開山堂
 毛越寺を開かれた慈覚大師円仁を祀るお堂です。
 ちょうど、アヤメが咲き始めていました。
 嘉詳寺(かしょうじ)跡
 二代基衡が建築を始め、三代秀衡が完成させた御堂。
 建築の規模は、正面約29.9m、側面22.5mで左右に廊があったいいます。  
 金堂円隆寺跡
 二代基衡が建立した寺で、「吾妻鏡」によると「吾朝無双」と称えられるほど、万宝を尽くして造られた建物。
 本尊は、雲慶作の丈六の薬師如来。
 毛越寺の中心的な堂で、東西に廊がでて南に折れ、その先端に鐘楼、経楼があったといいます。    
 講堂跡
 本尊は、胎金両部大日如来。仏法を説き仏法を聴く堂舎。    
 鐘楼跡の礎石
 遣水(やりみず)
 この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いて、例が無く、平安時代の遺構として唯一のものです。
     
 遣水は、池に水を取り入れる水路であり、玉石を底に敷きつめ、流れには水越し、水切りの石、その他水の曲がり角や池への注ぎ口に石を配するなど平安時代の「作庭記」の様式を余すところなく伝えているそうです。
 常行堂
 本尊は阿弥陀如来。   
 法華堂跡
 常行堂跡
 歴史があり、広大、かつきれいな庭園です。広いのに、よく手入れされています。
 ここにいると、時間が停まっているような気がします。
 いや、平安時代か鎌倉時代にタイムスリップしたような感じです。   
本堂
 平安様式の建物で、平成元年に建立されました。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。
 芭蕉句碑
 「夏草や兵どもが夢の跡」が刻まれています。   

 次は、観自在王院跡へ向かいます。