平成19年6月 平泉へ

 観自在王院跡
 観自在王院跡は、国の特別史跡に指定されています。
 藤原氏二代、基衡の妻が建立しました。
 観自在王院は阿弥陀堂のことで、かっては、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。
 舞鶴が池
 池は東西、南北ともに約90m。池の中央南寄りには中島があります。
 中島
 中島には、橋が架かっており、渡ることができます。
 この舞鶴が池も、平安時代の『作庭記』の作法どおりに作られていたといわれています。

 千手堂・と義経妻子の墓
千手院
源義経妻子の墓
 文治5(1,189)年、高舘で死んだ源義経の妻子の墓です。
  

 弁慶の墓
 弁慶は、文治5(1,189)年、藤原泰衡に焼き討ちされた主君義経を最後まで守り、最後衣川で立ち往生で死んだと言われています。
 ここに遺骸を葬り、五輪塔が建てられました。

 中尊寺
 奥州藤原氏の初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂とともに平安時代浄土教建築の代表例であり、当代の建築、美術、工芸の粋を集めたものとして、日本で第1号の国宝に指定されています。
 中尊寺に参拝します。
 町営の駐車場に車を停めて、歩き始めます。
 最初、参道は急な坂から始まります。   
 北上川、衣川が遠望できます。
 中尊寺金色堂を覆っている覆堂です。鉄筋コンクリート造です。
 中尊寺金色堂は中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂です。平日ながら、観光客は多いです。外人さんもいます。
 金色堂の名の通り、堂は内外ともに総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に布を着せ、金箔を貼って仕上げられています。
 金色堂内には3つの仏壇(須弥壇)があり、藤原清衡、基衡、秀衡の棺と四代泰衡の首を納めた首桶が安置されています。
 経蔵(重要文化財)
 松尾芭蕉の銅像
 昔、芭蕉もここを訪れています。

 五月雨や、降り残してや、光堂
 
 旧覆堂(重要文化財)
 昔の覆堂です。松尾芭蕉が訪れた時は、この木造の覆堂に入っていた金色堂を見たことになります。   
 中尊寺 本堂です。

 安倍舘跡
 安倍氏累代の居城でした。

 一首坂(いっしゅざか)
前九年の役の故事があるところです。
 源頼義が安倍貞任を攻め、ついに貞任は堪えられなくなり、城から逃げ落ちました。 そこに頼義の長男 義家が追いついて、「ひとこと言いたいから、少し待て」と声をかけました。
 貞任が振り向いたところへ、「衣の舘はほころびにけり」と下の句を詠み、上の句を待ちました。
  
 貞任は、馬をとどめて義家に向かい、間髪を入れずに、「年を経し糸の乱れの苦しさに」と詠み上の句を答えた。
 弓に矢をつがえて答えを待っていた義家は上の句の返答に感じ入り、つがえた矢をはずして追撃を止めて帰りました。
「貞任石」です。
「義家石」です。

 次は、高舘へ向かいます。