平成20年 1月 広島県1日目

 広島城
 広島城は、鯉城(りじょう)とも呼ばれ、国の史跡となっています。
 広島城全域が広島城址公園となっており、復元された大天守は歴史博物館として利用されています。

毛利氏の居城は、山城である吉田郡山城でした。防御に強い堅固な山城でした。
天正末年になり、中国地方9ヶ国120万石の太守毛利氏にとって、吉田郡山城は手狭なものとなりました。

山間部にありすぎて、商業の中心地としては不適切であったことから、瀬戸内の水運が生かせ、城下町の形成が可能な平野がある海沿いへの拠点・広島へ移動することとなりました。

広島城は大坂城を参考とし、近世城郭として築城され、縄張りは聚楽第に範を取っているといわれます。

広島城築城は同時期に進行しつつあった豊臣秀吉の朝鮮征伐の後方基地としての期待もあり、秀吉は側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中に広島城に滞在したという話も残っています。

やがて、関ヶ原の戦いで減封されて広島を去った毛利輝元に代わって城主となった福島正則による改築がありました。
お堀も広いです。
みごとな石垣です。
被爆樹木
クロガネモチ