平成20年 2月 奈良

 内山永久寺跡
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は、奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院です。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道沿いにあります。
内山永久寺は石上神宮の神宮寺として、盛時には50以上の堂塔を誇った真言宗の大寺院だといいます。
中世には興福寺の末寺となり、江戸時代には971石の朱印地を与えられ、大和では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ待遇を受けます。
しかし、明治の廃仏毀釈によって廃寺となってしまいました。
池の傍らに立つ芭蕉の句碑

 永久寺跡の池の畔に芭蕉句碑が建っていて、次の句が刻まれています。

 「うち山やとざましらずの花ざかり」
           宗房
 松尾芭蕉(1644 - 1694)は、江戸に出る以前は出生地の伊賀上野に住み、「宗房(むねふさ)」と号していました。この句はその頃の作であるが、いつこの地を訪れたのかは記録がなくてわかりません。
 句の意味は、「内山永久寺の参詣に来たが、外様(よその土地)の人にあまり知られていない桜が今を盛りに満開に咲き乱れていることよ」であり、寛文10年(1670)に刊行された『大和巡礼』という本に収録されているとのことです。したがって、芭蕉が23〜24歳ごろに詠んだものと推定されています。
修験道が明治の神仏分離令で禁止された結果、続く廃仏毀釈で当寺が致命的な打撃を被りました。
現在では当寺の敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑が往時をしのぶだけである。
南北朝の頃には第96代後醍醐天皇が京都花山から吉野へ落ち延びる際に一時入寺して「萱の御所」とされました。
 石上神社
所在地:奈良県天理市布留町384
石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市にある神社です。
祭神は、布都御魂大神を主祭神とし、布留御魂大神、布都斯魂大神、宇摩志麻治命、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白河天皇、市川臣を配祀します。重要文化財 楼門−文保2年(1318年)建立
式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(現在は神社本庁の別表神社)。

『日本書紀』に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば、日本最古設立の神宮となります。
国宝 拝殿−入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代。 白河天皇が新嘗祭を行う皇居の神嘉殿を拝殿として寄贈したとの伝承があります。

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