平成20年4月

 高越城跡

高越山城は、鎌倉時代に蒙古襲来に備えてここに城を築いたのが始りとされます。
戦国時代に京都の伊勢氏が地頭職としてこの地に入った。 この伊勢氏の伊勢盛定の子伊勢新九郎盛時が、後北条の祖北条早雲であるというのが有力な説であるらしい。
その後もこの地の伊勢氏は続いたが、戦国末期に没落し城も廃城となった。
高越山城、その名のとおり、山の上にある山城です。
城跡には、満開の桜が咲いていました。
高越山山頂の一の郭跡には、「北条早雲生誕の地」の石碑が立っています。
ちょうど桜がきれいです。
北条早雲が幼少の頃、この城に居たのでしょうか。
早雲は、後に京都伊勢氏の養子となって足利義視に仕えましたが、応仁の乱後は駿河(現在の静岡県)守護今川義忠に嫁していた妹を頼って駿河に赴きました。
そこで早雲は義忠死後の今川家の内紛を纏めた功により、長亨元年(1487)に興国寺城主(現在の沼津市)となり、義忠の跡を継いだ義忠の子 氏親(義元の父)を補佐しました。
空は晴れており、山のてっぺんで気持ちがよいです。
高越城跡の遠望