平成20年 5月 

 漢陽寺

本尊は聖観世音菩薩で、中国三十三観音霊場第十五番にあたります。
所在地:山口県周南市大字鹿野上2872

漢陽寺は、約600年もの歴史をもつ県下屈指の名刹です。
開基は室町時代応安7年(1374年)大内弘世のとき名僧用堂明機禅師によって建立されたものです。
寺号の由来については、用堂禅師が杭州留学中にみられた漢の首都洛陽城の地形がこの地によく似ているところから漢陽寺とされたといわれます。
総檜造りの本堂を、平安時代様式の曲水の庭や鎌倉時代様式の蓬莱山池庭など、さまざまな時代様式の日本庭園が取り囲んでいます。
玉澗式枯山水庭
桃山時代様式の庭園です。
作庭者の故重森三玲は、日本庭園のさまざまな手法を試み、日本庭園史の各年代の庭を再現しました。各時代の様式の庭園が一覧できます。
「曲水の庭」(本堂前庭)
裏の潮音洞から流れ出る豊かな水を使った平安時代と鎌倉時代様式を融合させた庭園です。
地蔵遊化の庭
平安様式の庭園です。
蓬莱山池の庭

鎌倉時代様式の庭園です。
九山八海の庭

鎌倉時代様式の庭園です。
潮音洞

潮音洞は、漢陽寺の裏にあります。


江戸時代、岩崎想左衛門重友が、水利に恵まれなかった鹿野台地の水田開作と生活用水を救うために、資財をなげうって、漢陽寺の裏山にトンネル約89mを掘って、870mの水路を作り、錦川上流の水を引いたものです。
慶安4年(1651年)に工事を起し、村人達も、工事がすすむにつれて協力を惜しまず4年の歳月をかけて完成しました。

この時代は測量技術や工具が稚拙であったので工事は難航を極めました。
潮音洞の完成によって62町歩の水田を開作することができ、住民300戸の生活用水を救うことができました。