平成20年 6月 長野県



 諏訪湖
 光前寺 所在地:長野県駒ヶ根市赤穂29

光前寺は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山の寺院です。
信濃五大寺(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられていました。
1967年(昭和42年)、庭園が国の名勝に指定されました。
仁王門

光前寺は、貞観2年(860年)、円仁の弟子、本聖の開基と伝わります。
古記録は織田氏との戦いなど数々の羅災により失われました。
天正慶長の頃には武田氏、羽柴氏などの庇護を受けます。
参道

江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けました。
明治に入り塔頭末寺の多くを廃されます。
参道の光り苔
光り苔という看板がありましたが、どんな風に光るのか判りません。
大講堂
山門
山門
嘉永元年(1848年)に再建されたもので、十六羅漢を祀っています。
本堂
嘉永4年(1851年)に再建されたもの。
早太郎の木像
早太郎説話

 昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていました。
 その頃、遠江の見附村では、毎年田畑が荒らされ、その被害に困った村人は矢奈比売神社の祭りの夜に村の娘を人身御供として神様に差出し、これを鎮めていました。
 延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと、祭りの夜にその正体を確かめることにしました。
 現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていきました。
 僧侶は、早速信濃へ行き、光前寺で早太郎を探し出し和尚から借受けます。
そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)と戦い、見事退治しました。
 戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われています。
 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納しました。 本堂の横に早太郎の墓が祀られています。
速太郎の墓
三重塔
文化5年(1808年)に再建されたもの。約17m。
長野県宝に指定されています。
本堂前の池
光前寺 庭園
本坊・客殿の裏山の匂配を築山にし、その間に広い池を配しています。
石垣から滝が落ち、水の音と風の音が心和ませてくれます。
本坊の畳の広間でお茶(煎茶)とお菓子がいただけます。
飲んだ湯呑みも持ち帰ることができます。
サツキの花が咲いていると、見事でしょう。
裏山から水が流れきて、滝となり池に注ぎます。
池の底から、水がこんこんと湧き出しています。
緑が豊富で、落ち着いた、心安らぐ庭園です。
 諏訪大社・前宮
諏訪大社・前宮は、本宮の東約2km所に鎮座しています。

境内の大半を占める広場を神原(ごうばら)と言い、大祝の居館である神殿(ごうどの)と附属する沢山の建物が軒を連ね、上社の祭祀の中心地でした。

室町時代の中ごろに神殿が移転され、多くの建物が消滅し、現在では祭典に必要な建物だけになっています。
高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。
現在の社殿は、昭和7年伊勢神宮の御用材を以て建られたものです。
御柱の柱が建っていました。
 諏訪大社・本宮
  諏訪大社 上社本宮は、信濃国一之宮です。
我国最古の神社の一つであり、信濃国の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。
徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定されています。