平成20年10月  和歌山県

熊野から和歌山市へ来て一泊し、次の日、レンタカーを借り、和歌山市周辺から、大阪府の北を廻りました。

まず、根来寺へ行きました。

地図:http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/17/01.649&el=135/19/10.207&scl=3000000&bid=Mlink
 根来寺

根来寺で、私にとって印象深いのは、「庭園」と「大塔」です。

9:00ちょっと前に、大駐車場に着きました。

寺域がよくわからなくて、思いがけず、最初に奥の院へ行ってしまいました。
奥の院には、開山 覚鑁(かくばん、興教大師)上人の御廟があります。

覚鑁(かくばん)上人は、35歳の若さで、真言宗の悉くを受け継ぎ、弘法大師空海以来の才と称されました。
当時の高野山というのは、腐敗衰退していたようです。

覚鑁上人は、金剛峯寺座主に就任、高野山の主導権を握り、真言宗の建て直しを図ります。
しかし、却って、山内の真言宗門徒から焼き討ちを受け、命からがら逃げ出す始末でした。
覚鑁上人一派が高野山から追われ、安住の地となったのが、この根来でした。

室町時代になると根来寺は、、寺領70万石、僧兵数万となり、紀伊・和泉・河内に一大勢力を誇りました。

また、種子島から鉄砲生産の技術を得て、鉄砲をいち早く取り入れ、根来寺は強大な武装勢力ともなりました

根来衆は、根来寺を中心とする一帯(現在の岩出市)に居住した僧兵たちの集団で、傭兵集団としても活躍しました。

寺領70万石は、一国の国持ち大名並です。
根来寺は、豊臣秀吉にとって、まるで目の上のたんこぶであり、秀吉に焼き討ちされ、大師堂、大塔など数棟を残るだけとなりました。

江戸時代に、紀州徳川家の庇護のもと一部が復興されました。  
根来寺にいたネコです。野良猫でしょうか。
いいポーズをとってくれません。
  光明殿  
名草御殿
紀州徳川家から拝領したものです。
根来寺名勝庭園(国指定名勝庭園)
紀州徳川家から拝領した 名草御殿に面した江戸時代の庭園です。
滝と池を取り入れた池泉式蓬莱庭園の池庭で、美しい庭園です。素敵ですね。
朝一だったので、観光客は私一人でした。


大塔(多宝塔)〜 国宝。
 
 高さ40mの日本最大の多宝塔です。 でっかー、という感じです。
なんだか神々しさがただよう、いい雰囲気です。
さすが日本一で、こんな大きな多宝塔を見たことが無いです。
大塔の柱には、秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されています。
火縄銃の弾痕、観光客の来る人、来る人が、指を突っ込んでいくので、だんだん大きくなってきたそうです。

と、拝観券を販売している、おばさんが言っていました。
確かに、私の親指ぐらいの大きな穴でした。(^^;
大伝法堂 (重要文化財)
根来寺の本堂的存在です。これまた大きな伽藍です。
大日如来を中心に、本尊三尊像が鎮座しています。

  紀伊国分寺跡
根来寺の次は、近いこともあり、紀伊国分寺跡へ行きました。

国分寺跡に今でも、伽藍が建てられているのは珍しいです。
中心に、江戸時代に建てられた、お堂が建っています。
堂塔跡
国分寺だけあり、広い寺域です。