平成20年12月

西国第十一番 深雪山 上醍醐寺(みゆきやま かみだいごじ)



開 基 聖宝理源大師
創 建 貞観16(874)年
本 尊 准胝観世音菩薩
宗 派 真言宗醍醐派(総本山)
 住 所 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1
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山科から醍醐へきました。

弘法大師の孫弟子、理源大師が醍醐山に登ったところ、醍醐山の神、横尾明神の化身である老人が現れた、湧き出ている水を飲み、「ああ醍醐味なるかな」と言いました。
これが醍醐寺の名の由来となりました。

醍醐水を感得した理源大師は、貞観16年(874年)に山頂に草庵を結び、柏の木に准胝、如意輪の両観音像を刻み安置しました。
これが上醍醐寺の創始です。

さらに准胝堂、如意輪堂が造られ、延喜7年(907年)には醍醐天皇の勅願寺となり、薬師堂が建立されました。

下醍醐と上醍醐の両寺をあわせて醍醐寺です。

下醍醐は豊臣秀吉の「醍醐の花見」でも名高い桜の名所で、五重塔、金堂、三宝院など、数多くの文化財を有しています。

上醍醐は、薬師堂、准胝観音堂や清瀧権現本殿並びに拝殿、五大堂、如意輪堂、開山堂など、山上密教寺院の清浄な気に満ちています。

唐門(国重要文化財)
   年末も押し詰まった時期なので、観光客はほとんどいません。
醍醐寺には、桜の時期や、秋には、たくさんの観光客が詰め掛けます。
仁王門(国重要文化財)
金剛力士像(国重要文化財)
醍醐寺の西国札所納経所は、上醍醐寺 准胝堂です。

准胝堂は、平成20年年8月24日未明、落雷が原因とされる火災により全焼してしまいました。

以後、上醍醐寺は閉鎖され、上醍醐寺への登山口になっている醍醐寺の女人堂より奥に立ち入ることができないことになりました。
女人堂
西国札所の納経は、火災後、醍醐寺(下醍醐)の女人堂で行われています。

女人堂には焼失した本尊の分身が安置されているとのことです。
女人堂
ちょうど檀信徒により、年末の大掃除がされていました。
本来の納経所である上醍醐寺 准胝堂に行くには、山道を1時間近く登らねばなりません。
幸いというか、なんというか、納経所が、麓の女人堂で助かりました。