平成21年5月3日

 無鄰菴(むりんあん)

以前から、京都の庭園・無鄰菴に興味があったので、GW西国巡礼の合間に訪れました。
西国札所あと残るは岐阜の華厳寺だけとなったのと、札所巡りにちょっと疲れ、違うジャンルを観光したくなっていました。 観音様、ごめんなさい。m(_ _)m

地下鉄蹴上駅から上に上がると、蹴上浄水場にきれいな躑躅が咲いていました。
南禅寺入り口辺りは、GWということもにあり、たくさん人が行き来しています。

南禅寺入り口から路地を入った所に、無鄰菴があります。
静かです。人はほとんど歩いていません。
無鄰菴は、元は山県有朋(やまがたありとも)の別荘で、明治時代を代表する庭園です。

山県有朋は、幕末の長州藩出身で、高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となりました。
明治新政府で、日本陸軍の基礎を築き、政治家としても内閣総理大臣を務めた明治の元勲です。
 山県有朋は、古来からの日本庭園に不満を持っていたようで、有朋自らが、設計や監督をし、「植治」こと造園家の小川治兵衛に、無鄰菴を作庭させたものです。

無鄰菴は、有朋が長州に建てた草庵が、隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたといいます。
東山を借景とし、庭内に配された芝生、疎水から取り入れた豊富な水量の川があり、コントラストがとても美しいです。

ホームページ、本などの写真を見て、私の無鄰菴の印象は、川の中に庭園があるようでした。

庭園には、川が左右から流れています。
明治時代の日本庭園に芝生を使っているのが斬新だと思います。
琵琶湖疏水の水を使った三段の滝があります。

無鄰菴は、秋の紅葉の頃も、美しいのではと思います。
無鄰菴には、レンガ造り二階建洋館があります。
洋館は、明治31年の建立で、明治36年(1903)山県有朋、伊藤博文、桂太郎(総理大臣)、小村寿太郎(外務大臣)の四者によって日露開戦直前のわが国の外交方針に関する無鄰庵会議が行われたました。
この無鄰庵会議が開かれた当時の椅子・テーブルを見ることができます。
無鄰菴は、観光客が少ないですね。
静かで、ぼ〜っとしているのに向いています。