平成21年5月24日

 信濃国分寺

 国分寺は、聖武天皇が仏教を鎮護国家の宗教と位置づけ勅願して国ごとに建立を義務づけました。

 奈良時代にに建てられた国分寺は、939年の平将門の乱により焼失したと伝えられ、その後、場所を変え北側に、室町時代に、信濃国分寺が再建されました
  国道に面し、山門があります。
国道を挟んで、反対側に、天平時代に建てられた、当初の国分寺跡があります。 
信濃国分寺本堂
県指定文化財、江戸時代後期 万延元年 1860年の建築です。

静かで落ち着いた寺です。
信濃国分寺三重塔
国指定重要文化財、室町時代中期の建築です。高さ20.1m。

銅板葺きです。
関ケ原の戦の際、徳川秀忠と真田昌幸はこの寺院で講和したといいます。


 信濃国分寺跡

国分寺跡は国の史跡に指定されています。
奈良時代の国分寺跡が発掘され、判明しています。
100間四方の寺域に金堂、中門、塔、回廊、講堂、中堂、僧房などが南北一直線に配置されていたそうです。

信濃国分寺跡(尼寺) の近くに配置されていました。
講堂跡
七重塔跡
最初の国分寺のものです。