平成21年10月11日 日曜日

引き続き、米沢の旅です。
車を伝国の杜の駐車場へ停車し、近くのラーメン屋さんでラーメンを食べました。
店に入るときは、空いていたのですが、食べ終わり店を出る頃には、店に入るための行列ができていました。

 伝国の杜

ここは有料施設ですが、非常に込んでいました。
「洛中洛外図」が特別公開されていました。いつもは展示されていないそうなので、拝観することができ、幸運でした。

伝国の杜から出てきたら、ゆるキャラ「かげっちさま」が出てきてくれました。

 
 松岬神社(まつがさきじんじゃ)

歩いて、松岬神社へ向かいます。

境内隣に、上杉鷹山の銅像があります。
正座した、上杉鷹山さんです。
■ 松岬神社

松岬神社は、上杉神社の摂社で、松が岬公園(米沢城址)にあり、上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀っています。
いよいよ、米沢城の本丸に入ります。


 米沢城
 米沢城は、1548(天文17)年、伊達晴宗が居城だった西山城からここに本拠を移し、大改修を行いました。

 1567年、孫の政宗は、この城で産声をあげています。 のち政宗が転封になると、蒲生氏のものとなり、その後は上杉景勝の重臣、直江兼続が入ります。

関ヶ原の戦いの後、上杉景勝は、会津120万石から30万石に減封され米沢城に移ります。

以後、明治6年に取り壊されるまで上杉氏は13代にわたって城を治めました。
橋を渡ると、上杉謙信の銅像がありました。
皆さん写真を撮られており、非常に人気があります。
伊達政宗誕生之地の木柱が立っています。
上杉鷹山の銅像

 途中、また、上杉鷹山の銅像がありました。
 こちらは、立ち姿で、扇子で、彼方を指しています。
 上杉神社
上杉謙信の遺骸は、春日山城内の不識庵に仏式にて祭られましたが、上杉家が会津、米沢藩へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷り、仏式で祀られてきました。

明治に入ると、合わせて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とされました。
明治35年(1902年)、鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、上杉神社は謙信のみを祀ることとなりました。

上杉神社は、参拝客がたくさんおり、神社の外側まで列ができていました。
参拝をあきらめ、上杉神社の宝物殿へ。
上杉神社宝物殿を見学。

 上杉謙信公の遺品を主として2代目景勝公、直江兼続公、中興の名君鷹山公の遺品を展示しています。直江兼続の鎧がありました。「愛」の前立てがありました。
上杉謙信公祀堂(御堂)跡

江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂(祠堂)のあった場所です。

慶長17年、米沢城本丸東南隅に御堂を新築し、中央正面に謙信の遺骸を安置し、その左右に善光寺如来と泥足毘沙門天像を奉置しました。

明治4年の廃藩に際し、仏式の祭礼を止め、謙信、鷹山の2柱を祀り、上杉神社と称し、神祭を行うことになりました。

米沢城で最も神聖な場所とされました。

明治9年、謙信の遺骸は、歴代藩主の眠る御廟所(歴代藩主上杉家墓所)に移されました。

 
 上杉記念館 旧上杉伯爵邸

入場無料です。こちらでは、祝い事、仏事、あるいは会食ができます。

旧上杉伯爵邸は明治29年(1896)に米沢城二の丸に建てられた伯爵邸建築で、巨費がかけられた大邸宅(敷地約5,000坪、建坪530坪)でした。

しかし、大正8年(1919)の米沢大火に巻き込まれ焼失してしまいます。
大正11年から13年にかけて、建坪は285坪とほぼ半分にして、屋根は銅板、木曽檜や欅を使用するなど素材から吟味し再建されます。

その後上杉家から寄贈され、現在は「上杉記念館」として一般公開され、国登録有形文化財に指定されています。 
緋毛氈を敷いた長いすが置かれ、座って、ゆっくりと庭園を鑑賞することができます。
庭園は浜離宮を倣ったものとされ林泉寺庭園、法泉寺庭園と共に米沢三名園の1つに数えられています。
私が見ても、立派で大きな木造建築です。
上杉記念館の前に、またまた、上杉鷹山さんの銅像があります。
こちらは胸像です。人気がありますね。

 
 宮坂考古館  山形県米沢市東1丁目2−24

小さい博物館なのですが、前田慶次郎の鎧、上杉景勝の鎧などが展示してありました。
花の慶次の漫画も展示してあります。
この時の展示テーマは、前田慶次郎のようでした。
駐車場があり、ひっきりなしに観光客がきています。人気があります。

 慶次清水 

前田慶次郎に関わる史跡を見忘れていたのに気がつき、堂森の善光寺へ戻ります。

慶次清水は、善光寺から少し離れています。
標識が整備されていて、なんとか行けました。
 慶次清水は、前田慶次郎が日常生活で使用していたと言われている清水です。

慶次清水です。
米沢は観光客であふれていましたが、ここは誰もいませんでした。
ここまでは、一般の観光客は来ないです。
今でも、地元の方の好意により、清水は、よく管理されているようです。 

 
 亀岡文殊

日本三文殊の一つで、およそ1200年の歴史があります。

大同2年(807)に東北地方布教のため、この地を訪れた徳一上人が、中国の五台山に似た風景をもつ山容に心をうたれ、宇堂を建立したのが文殊堂の始めといわれています。

文殊堂は文殊菩薩すなわち、釈遵の左にいて知恵をつかさどる菩薩を祀り、中国では五台山がその浄土とされ、昔から『三人よれば文殊の知恵』といわれるように学問の神様として知られています。

知恵と幸福を授かるともいわれ、また縁結びの仏としても有名です。

 
 高畠ワイナリー
高畠ワイナリーは、高畠ワインの製造工場です。
ワイン醸造行程の見学ができるようです。
広い売店があり、ワインの試飲販売の他、ワイナリーの関連商品や地元料理のレトルト、地元で採れた野菜などが販売されていた。
この日は、ちょうど収穫祭が行われていて、午後遅くとはいえ、人がまだたくさんいました。
ここで、ソフトクリームを食べます。濃厚で美味しかったです。

 
 資福寺跡   山形県東置賜郡高畠町夏茂

朝から、観光予定地を粛々と観光し、予定のスケジュールを完了しました。

最後に、伊達輝宗の墓があるという、資福寺跡を探しました。

その寺跡と思われる地点に着いたのが、午後5時近くでした。
太陽はもう沈みつつあり、夕方となっていました。
資福寺跡、なかなか見つかりません。

付近の畑道を歩いていると、向こうから、農作業から歩いて帰る男性とすれ違いました。
この方に尋ねて、やっと輝宗の墓が判りました。何のことはない、来る途中にお墓があったのです。暗くてわかりませんでした。
伊達輝宗の墓
伊達政宗のお父さんです。
伊達政宗の墓
伊達氏中興の祖といわれる、初代の伊達政宗のお墓もありました。
もう、薄暮のなか、タイムリミットぎりぎりに見つかりました。
よく見つかったものです。

これで、この日の観光を終了し、山形市経由で、山形道を走り、仙台市内へ戻りました。