平成21年12月28日

 松島  雄島

 午前中は、小雨交じりのお天気でした。
 お昼過ぎから、急に天候が回復し、日が差し、空が青くなってきたので、松島へ出かけました。

松島の雄島(おしま)を訪ねました。
御島とも昔は書いたようです。
 朱塗りの渡月橋を渡れば雄島です。
 昔は、108の岩窟があったそうですが、現在は50程度しか残っていません。
 その昔、死者の浄土往生を祈念した石の塔婆である板碑、岩窟の中には五輪塔や壁面に法名の彫られたものが多く、鎌倉のやぐらの墓のように思えます。
 平安時代、雄島には、見仏上人という高僧がここで修行をしていました。
 見仏上人は、長治元年(1104年)伯耆国(鳥取県)から雄島に渡った僧です。瑞巌寺の住持職に就くことはありませんでしたが、上人の高僧としての名声は京にまで届き、鳥羽上皇から本尊や法器、松の苗木千本が下賜されました。法華経60000部を読誦し、雄島で、12年間もの長きにわたって修行を続けました。
島の眺めがよいです。
松島の風景ですね。
頼賢の碑 (国重要文化財)
 雄島の南端に、国の重要文化財指定の頼賢の碑が六角形の鞘堂の中に納められています。 高さ3メートル。本文は、頼賢の徳を讃えています。
 頼賢は、弘安8年(1285年)に雄島の妙覚庵に入って以来、22年間、島を出ることなくひたすら法華経を読誦し、見仏上人の再来と仰がれました。
 頼賢没後の徳治2年(1307年)、弟子の匡心や孤雲ら30名が、師の供養と頌徳のため、鎌倉建長寺住持一山一寧に撰文を請い、雄島の南端に「頼賢の碑」を建立したものです。
雄島には、板碑がたくさんあります。
松尾芭蕉、曾良の句碑の板碑です。
松島のマリーナが見えます。
観光遊覧船が行き過ぎていきました。
瑞巌寺瑞巌寺 妙覚庵跡の碑
雄島は、それほど小さくも無く、大きくもないという島でした。
風が冷たくて、耳がちぎれそうです。観光を取りやめホテルへ帰ることにします。