平成22年2月 会津

高速を利用し、日帰りで会津へ行ってきました。
常磐道、磐越道と走り継ぎます。
磐越道を走っていると、どんどん雪が降ってきます。

タイヤがスタッドレスタイヤでよかったです。

阿武隈高原SAの風景。雪が積もり始めています。

会津坂下ICで磐越道を降り喜多方へ向かいます。

 まこと食堂
福島県喜多方市小田付道下7116
TEL 0241-22-0232
中華そば 600円

初めて食べた喜多方ラーメンです。
昔懐かしいラーメンの味で、美味しかったです。


 新宮熊野神社

新宮熊野神社は、前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれます。

その後、後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したといいます。

この時、同時に熊野本宮社を岩沢村、熊野那智社を宇津野村に遷座・造営しましたが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られています。
太い注連縄(しめなわ)が、鳥居から下がっています。
長床
 藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をとり、熊野神社の拝殿といわれています。
こんな形式の拝殿は、見たことがありません。面白い建築です。

平安時代末期から鎌倉時代初期に拝殿として建立されたと考えられます。

その後、慶長16年(1611年)に大地震で倒壊し、同19年(1614年)に旧材を用いて再建されました。
長床の柱。太いです。
神社の建築としては、珍しい造りだなと思います。
新宮熊野神社 本殿
大イチョウ
 長床前にあり、高さ30m・根本周り8.1mで樹齢は600年といわれ、喜多方市天然記念物に指定されています。
雪がたくさん積もっています。

道路には、除雪されているのか、まったく雪は積もっていないのですが。


 伊佐須美神社(いさすみ じんじゃ)
所在:大沼郡会津高田町宮林甲4377番地

 紀元前88年(崇神天皇10年)、四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり、東北道各地を平定した後、この地で出会ったことから「会津」という地名が起こったと伝えられています。

 この時、国家鎮護のため国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎しました。これが伊佐須美神社の起源とされています。
 その後、博士山、明神ヶ岳と移転を繰り返し、552年(欽明天皇13年)に現在地に遷座し、大毘古命、建沼河別命を合祀したとされています。
立派で、雰囲気のある楼門です。

残念ながら、平成20年(2008)10月に火事が起き、拝殿授与所が焼失しています。


 鶴ヶ城(会津若松城) (国指定史跡)

 1643(寛永20)年、江戸幕府第三代将軍徳川家光の弟である保科正之が、23万石で山形から入城しました。これ以後、明治維新まで会津松平氏の居城となり、戊辰戦争では、会津戦争と別名がつくほど抵抗し、板垣退助率いる新政府軍と1ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げた末に降伏しました。
 明治7年に天守閣その他の建造物は取り壊されました。
 現在の天守閣は、1965(昭和40)年に鉄筋コンクリート及び一部木造で復元されたもので、郷土資料館として活用されています。
 南側から見た姿で、天守の前に伸びるのは走長屋。一番いい構図です。
 蒲生時代に構築された野面積(のづらづみ)の石垣の上に建てられた、五重五階の天守閣で。
会津若松市の街並み
遠くの山々に雪が被っています。
ところどころ、隅っこに雪が積もっています。寒いです。


 静御前堂
所在:郡山市静町37
 会津から郡山へ戻ってきました。猪苗代湖は雪が舞っていて寒かったです。山を越え郡山へ入ると青空でいいお天気です。もう夕方ですが、静御前堂を訪れました。
 静御前堂は文治五年(1159)、義経を慕い、この地でその生涯を閉じた静御前を哀れに思った花輪長者と里人が小さなお堂を建立したのが始まりで、現在のお堂は天明三年(1784)再々建てられたものです。