平成22年3月 中禅寺湖〜日光

 日光二荒山神社中宮祠
中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に鎮座する神社です。
男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光山内にある二荒山神社本社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれています。

雪がかなり積もっています。
男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光山内にある二荒山神社本社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれています。

延暦3(784)年、勝道上人が山頂を極めた後、ここに二荒権現を祀る社殿を建てたのが始まりです。
祭神は二荒山神社と同じ、大己貴命(おおなむちのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の三神です。
中宮祠駐車場から見た中禅寺湖


 戦場ヶ原
 戦場ヶ原は、栃木県日光市の日光国立公園内にある湿原です。 湯川(湯滝の下流)が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったものが、堆積によって湿原化したものです。 2005年11月、奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となりました
三本松園 駐車場
 駐車場 駐車場は、完全に雪が除雪されていますが、周りは雪が一面に積もっています。
かわいい雪だるまが作られていました。
戦場ヶ原と男体山


 中禅寺湖
氷は張っていませんが、冬の湖です。

 中禅寺
板東三十三所 観音霊場の第十八番札所、中禅寺へ来ました。 中禅寺は、784年、日光開山勝道上人によって創建されたお寺で、世界遺産 日光山 輪王寺の別院です。 本尊は、桂の立木を勝道上人ご自身が手刻されたと伝わる「千手観音」様で、立木観音とも呼ばれています。
五大堂から望む中禅寺湖のパノラマです。


 日光東照宮
大谷川を渡る手前に、板垣退助と天海大僧正の銅像あります。
板垣退助銅像
 日光の重要な建築物が今のように残っているのは板垣の功績です。
 明治元年の戊辰戦争の折に、官軍の参謀だった彼が話し合いで戦いを収めたために、日光廟を戦火から守ったと言われています。
天海大僧正銅像
 家康の遺言を守り、日光に改葬し東照宮の壮健に尽力した天海大僧正の像。 板垣退助銅像と、国道を挟んで反対側に立っています。
勝道上人の銅像〜日光山の開祖
 神橋から表参道(長坂)を上りつめると、輪王寺三仏堂を背景にして日光山の開祖、勝道上人の銅像が岩の上に立っています。
 勝道上人は下野(栃木県)の生まれで、27歳のときに唐憎・鑑真和上の高弟・如宝僧都から戒を受けて僧となりました。
 日光の男体山を中心とする霊地を観音の浄土である補陀洛山とし、その山頂を極めようと32歳で入山。天平神護2(766)年、霊地日光山の発祥となる四本竜寺を建立しました。
 以来15年間、弟子たちと男体山に挑んでは数々の困難に遭遇し、挫折を繰り返しましたが、天応2(782)年についに頂上を極めることができました。中禅寺湖は、その登頂に成功したときに発見され、山麓の湖畔に二荒山神宮寺(中禅寺)が創建されました。

 日光東照宮
 日光東照宮は、徳川家康を主とし、豊臣秀吉・源頼朝を合祀しています。
 家康は1616年(元和2)4月17日駿府城で没し、遺言により久能山に神葬祭で葬り、翌年4月、日光の奥宮宝塔の地に改葬、国家鎮護の神として奉斎されました。東照大権現の神号が宣下され、東照社と称しました。
 この地は782年(天応2)山岳信仰の風潮とともに、勝道上人が男体山を中心に神仏混淆の霊場を開き、現在の二荒山神社・輪王寺の基礎をつくって以来、関東地方の信仰の中心となり、中世以降も関東武士に崇敬されてきました。
 五重塔 (国指定重要文化財)
 慶安3年(1650)若狭小浜藩主・酒井忠勝の奉納です。高さ35m。
 その後、文化12年(1815)に火災により焼失し、文政元年に酒井忠近が再建。五重塔は三間四面の五重塔婆で朱色を基調とし金物を金、組物、彫刻を極彩色で彩る豪勢な造りで、東照宮入口に相応しい姿をもっています。
徳川3代将軍・家光は祖父家康を尊敬する心きわめて篤く、伊勢の神宮が20年ごとに造替される例に倣い、34年(寛永11)11月に秋元泰朝(あきもとやすとも)を奉行とし、甲良豊後守宗広(こうらぶんごのかみむねひろ)に設計指揮を命じ、1636年4月におよそ現在みられる壮麗な社殿を造営しました。

この社殿造営にあたり、自然の地形利用を十分に考え、老樹・巨木をなるべく残し、建物配置を相互に緊密にして全体的調和を計り、社殿材料、構造の耐久性、また火災・寒冷・湿気に対する対策を考え、建築物の形式、細部の意匠など当時の最高の技術方法を取り入れ、色彩の調和も計り、精巧優美な建造物造営を目ざしています。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿
正面・背面の唐門、東西の透塀(すきべい)、陽明門(ようめいもん)、回廊とともに国宝に指定されています。
雪が積もっています。
神輿舎
眠り猫(ねむりねこ)
栃木県日光市の日光東照宮にある彫刻作品。左甚五郎の作品と言われています。
本地堂(重要文化財)
正面が本地堂の建物。天井に鳴龍が描かれています。
鳴龍
 東照宮境内に立つ、家康公の守り本尊の薬師如来を祭る本地堂(重要文化財)にあります。
 その内陣の天井に描かれた龍が、有名な鳴龍で、龍の頭の真下で拍子木を打つと、「きるるるー」と残響音が響き渡り、龍の鳴声のように聞こえます。
相輪塔
 社寺・教会]輪王寺三仏堂の後方にある、高さ13mの青銅製の供養塔。
 1643年(寛永20)、徳川3代将軍家光の命を受け、天海大僧正が比叡山の相輪塔にならって造立したといわれる。