平成22年5月

 勝常寺
所在地:福島県河沼郡湯川村勝常代舞1764

 勝常寺は、平安時代初期の弘仁年間(810年〜824年)に法相宗の学僧・徳一によって開かれたといわれています。
 徳一は中央(畿内)の出身で、20歳台で関東に下り、会津地方を拠点に宗教活動を行いました。
 天台宗の宗祖・最澄と三一権実(さんいちごんじつ)論争と呼ばれる、天台宗と奈良の旧仏教の優劣に関わる論争を行ったことでも知られています。
 徳一の開創が確実視される寺院としては慧日寺(恵日寺、福島県磐梯町)と筑波山の中禅寺(茨城県つくば市)があり、その他にも多くの寺院を建立したと伝えられます。
 勝常寺については、徳一の創建を伝える文献等の直接的史料はありませんが、勝常寺には本尊薬師三尊像をはじめ、9世紀にさかのぼる仏像が多く残り、これらは徳一が関係した造仏であると考えられています。
 創建当時は七堂伽藍とその附属建造物が多数立ち並んでいたと伝えています。
 木造薬師如来像が本尊とされ、会津五薬師の中心として会津中央薬師と称されるようになります。
 鎌倉時代後期からは真言宗に属するようになり、近世まで仁和寺の末寺でした。
応永5年(1398年)に火災があり、その後室町時代初期には講堂(現・薬師堂)が再建されました。現在残されている建物はその薬師堂以外は近世以降の建物です。
会津三十三観音10番でもあります。
薬師堂
 現在の薬師堂は室町時代初期に蘆名氏家臣・富田祐持によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
 桁行5間、梁間5間、寄棟造で、屋根はもと茅葺きでしたが、昭和39年に銅板葺となりました。現在内部には国宝の木造薬師如来及が安置されています。
 勝常寺には30余体の仏像があり、うち12体は平安時代初期のもので、おそらく創建時に造立されたものと思われます。平安時代以前の仏像が一寺院にこれだけ多数残っているのは畿内の寺院を除けば非常にまれであり、この寺がこの地域を代表する大規模な寺院であったことがうかがえます。現在、薬師如来の両脇侍立像及び他の諸仏は収蔵庫に安置されています。
 勝常寺は、国宝の薬師三尊像と多数の国重要文化財仏像が現在でも残っているのにびっくりしました。
 普通、地方にはこのようなお寺は無いです。畿内のお寺に引けをとらないです。
 会津の農村地帯にありながら、不思議な寺です。


 土津神社(はにつじんじゃ)
 土津神社は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社で、会津藩初代藩主・保科正之を祀っています。
奥の院の保科正之の墓所です。
 会津松平家廟所と同じに神式で祀っています。珍しい形式です。
「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之が吉川惟足より吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来しています。
翌寛文12年(1672年)12月に正之が死去すると、その遺言どおり見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られました。正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたといいます
現在境内には、明治13年(1880年)に再建された社殿、山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑があります。
もう、夕方になり、参拝者はほかに無く、ひっそりとした土津神社でした。