平成22年6月 奈良

西大寺から近鉄線に乗り、近鉄奈良駅へ来ました。
 行基像

 近鉄奈良駅前に、行基像があります。
 行基は、貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動し、東大寺の大仏造営の勧進も行いました。

 噴水の上に立っているのですが、噴水の水で腰から下が濡れてているのが、ちょっと可哀相に思えました。
 興福寺 三重塔(国宝)
 康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建されました。
 治承4年(1180年)の大火による焼失記録はありませんが、現在の塔は建築様式からまもなく再建された鎌倉建築です。   
 私の写真撮影の癖は、写真右側に傾いてしまうことです。この三重塔もえらい傾いています。
 猿沢池
 興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池です。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式です。現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっています。   
 率川(いさがわ)の石仏
 猿沢池の西南、小さな橋がかかっています。この橋の下の小さな流れは、率川と呼ばれています。川を覗くと、川の中に石で造られた舟形の島があり、小さな石仏が十数基安置されています。この石仏は、幕末の頃、河川工事をした時に埋もれていた約40体の石仏が見つかり、集められて川の中に祀られました。   
 史蹟 元興寺 塔跡
 元興寺五重塔跡で、ならまちにあります。
 奈良時代から残る創建遺構で、一辺9,65m総高は寺伝では72,7mの東寺五重塔より大きいと伝えられる超大型塔がありましたが、1859年(安政6)に、観音堂などとともに焼失します。   
 現在、かたわらに1935年頃再建された小堂が建つのみで、それより古い建物は残っていません。   

 元興寺 極楽坊
 元興寺(がんごうじ)は、南都七大寺の一つに数えられる寺院です。
 蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身です。法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となりました。(飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっています)。 
 奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院でしたが、中世以降次第に衰退しました。
本堂(国宝)
 極楽坊本堂または極楽堂ともいわれます。寛元2年(1244年)の棟札が残っており、鎌倉時代に再建されたものであることを伝えています。

 柱と柱の間隔がまん中から端にゆくにしたがって狭くなる造りで、この柱と白壁のバランスとともに、「行基葺」という屋根瓦のふき方が非常に美しいです。

 屋根瓦の一部にも飛鳥〜奈良時代の古瓦が使用されています。古瓦は上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形をしており、この瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)というそうです。
講堂跡礎石(奈良時代)
当初の講堂は、間口十一間で丈六薬師如来坐像を本尊とし、脇侍二体、十二神将が安置されていたと伝えられています。
 石仏がたくさん境内にあります。
 石仏の間に桔梗が生えています。花が咲いたらきれいでしょう。   
禅室(国宝)
 切妻造、瓦葺。本堂の西に軒を接して建っています。
 元は現・本堂も含んで東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものです。
 禅室の部材を調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されているとのことで、本建物の一 部には法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになります。

  十輪院
 もとは大寺院だった元興寺の別院とされ、寺伝によると奈良時代に右大臣・吉備真備の長男である朝野魚養(あさのなかい)が、元正天皇の旧殿を拝領し創建したとのこと。朝野魚養は能書(書道の名人)とされます。
 中世以降は庶民の地蔵信仰の寺として栄えました。
本堂(国宝)
 周囲を住宅街によって囲まれた境内の中、静かにたたずむ十輪院の本堂は、本尊の地蔵菩薩を納める石仏龕を拝するための礼堂として建てられ、鎌倉時代を代表する建造物の一つとして国宝に指定されています。住宅風の意匠を持ち、簡素ながら落ち着いた美しさを誇ります。   
河島英五のお墓
 十輪院墓地には、生前奈良を愛していた河島英五のお墓があります。
 大乗院庭園
 大乗院は、興福寺の門跡寺院でした。
 大乗院庭園は、15世紀中期の徳政一揆で荒廃したいたのを、その復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った善阿弥とその子を招いて改造させた池泉回遊式庭園です。明治初頭まで南都随一の名園と称えられました。
 大乗院は廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となったが庭園は残され、戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定されました。
 名勝大乗院庭園文化館が閉館間際の時間に訪れたため、少しの時間しか鑑賞できませんでしたが、すばらしい庭園でした。
 春日大社
 大乗院庭園を後にし、春日大社へ向かいます。
 最初の鳥居から、1kmちょっとの距離があります。長い長い。   
 途中、参堂脇に、シカ君がいました。
かわいいです。
南門 (国重分)
 やっと南門までたどり着きました。
  
南回廊
幣殿・舞殿(へいでん・ぶでん)
   (国重文)

 幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物です。
 舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。
砂ずりの藤
 慶賀門を入った所の棚作りの藤で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名があります。樹齢700年以上といわれます。   
中門・御廊(ちゅうもん・おろう)(国重文)
 中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。
 御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。    
南門
 春日大社の拝観を終え、東大寺へ向かいました。
 途中、シカ達が眠る体制のため、吹き溜まりの落ち葉の中に身を横たえていました。   
 東大寺
法華堂(三月堂)(国宝)
 天平12年(740)から19年までの創建と考えられている東大寺最古の建物です。
 不空羂索観音を本尊とするところから古くは羂索堂と呼ばれていましたが、毎年3月に法華会が行われたことから、のちに 法華堂と呼ばれるようになりました。
 後方の正堂部分と前方の礼堂と二つの部分からなっており、礼堂部分は正治元年(1199)に重源上人によって新造されたものです。   
二月堂
 二月堂は、奈良時代(8世紀)創建の仏堂です。
 現存する建物は1669年の再建で、国宝に指定されています。
 奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事です。   
閼伽井屋(若狭井屋)
 鎌倉後期の建築で、修二会の儀式「お水取り」の御香水(おこうずい)を汲む井戸がある建物です。   
 二月堂に参拝するため、石段を登っていきます。
 6月になり、かなり日が延びて、まだまだ夕暮れには時間がありました。
 東大寺大仏殿の向こうに、奈良市街が見えます。   
行基堂
 奈良時代の著名な僧で、東大寺の創建にも貢献した行基の肖像を安置しています。   
鐘楼(国宝)
 鎌倉時代、13世紀初頭の建築。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385cm、口径271cm)です。   
俊乗堂
 鎌倉時代に大仏と大仏殿を再興した東大寺中興の祖、俊乗坊重源を祀るお堂です。
 現在のお堂は宝永元年(1704年)の再建。本尊の俊乗上人坐像(国宝)は、上人が86歳で没した直後の制作と思われ、鎌倉時代肖像彫刻の傑作といわれています。   
南大門 (国宝)
 鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されました。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(天竺様ともいう)を採用した建築として著名です。
 1層目の屋根の上には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられています。2006年10月10日に行われ た「重源上人八百年御遠忌法要」にあわせて新調されたものだそうです。   
 もう、日が暮れようとして、観光客はまばらとなってきました。シカ達も山へ帰ったのか、歩いていません。