平成22年6月 鎌倉

梅雨の時期に初めて、鎌倉へ来ました。
ちょうどアジサイが見頃を迎えてきました。
江ノ電に乗り、極楽寺駅で降り成就院へ来ました。

 成就院
 成就院は、真言宗大覚寺派の寺院で、本尊は不動明王。アジサイの寺で有名です。
 平安時代、弘法大師空海がこの地を訪れ、この地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法を修したといいます。
 承久元年(1219年)に鎌倉幕府第三代執権北条泰時は京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立し、普明山法立寺成就院と称しました。
 しかし、元弘三年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めの戦火にて寺は焼失し、奥の西が谷に移転しました。江戸時代の元禄期(1688年〜1703年)に再びこの地に戻り現在にいたっています。
 極楽寺への山門前から、参道の両側にアジサイが今を盛りと花を咲かせています。観光客が多いです。
アジサイの花はいろんな色があり、色とりどりきれいです。
水色、ピンク、紫など同じ木なのに、花の色が違うのは不思議です。

白いアジサイ花です。

こちらはピンク色です。

 極楽寺
 極楽寺は、鎌倉唯一の真言律宗の寺です。本尊は釈迦如来。
 開基は、北条義時の三男・重時、開山は忍性です。
 北条重時は、執権を補佐する連署まで務めた人でした。寺の完成を見ず弘長元年(1261)に重時は亡くなり、子・長時と業時が父の志を継いで完成させました。
 極楽寺は、最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院がありました。
 開山の忍性は極楽寺で慈善救済の大事業を営みました。
 施楽院・悲田院・療病舎などの建物が並び、日夜多数の病者を収容し、貧者には無料で加療・施薬をしたということです。
 精力的な活動をした忍性は、さらに土木事業も起こし、各地に橋を189ヶ所、道は71ヶ所もあったということです。このことから、忍性は生き仏と仰がれていました。 
 極楽寺は、元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際の戦火でことごとく焼失してしまいます。
 今では、本堂前にある薬草をすり潰した石臼と石鉢が、忍性の大事業を示しています。
忍性は後醍醐天皇より菩薩の称号を貰っています。
 境内は、写真撮影が禁止でした。

 長谷寺
 養老5(721)年、大和長谷寺の開基 徳道上人が一本の楠木の大木から二体の十一面観音を作り、1体を大和の長谷寺に安置し、もう1体は、「どこか有縁の地に流れ着いて衆生を救いたまえ」と祈って海に流しました。それが、天平(736)年、三浦半島に漂着して浦人の手で引き上げられ、藤原房前が鎌倉の地に新長谷寺を創建し、徳道上人を招いて寺を開きました。
 康永元(1342)年には、足利尊氏が本尊に金箔を施しています。
 明徳3(1392)年には、足利義満が光背を作りました。
 徳川家康は、その後消長の激しかった長谷寺の再興を図り、観音堂など慶長12(1607)年に再建しました。
花菖蒲が咲き、ちょうど見頃となっていました。
長谷寺は、アジサイも多くあって、見頃を迎えていました。


■ 高徳院
 鎌倉大仏の名で親しまれています。
  大仏の高さは11.31m、重量約121tあり、現在の金鋼仏は1252年(建長4)に鋳造が始められ、仏像としては鎌倉で唯一の国宝に指定されています。
 完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿内に安置されていましたが、その後地震や津波で大仏殿が崩壊し、露座の大仏になっています。
 境内には、大仏を詠んだ与謝野晶子の歌碑のほか、3基の文学碑が立っています。
 高徳院も、アジサイの花がきれいでした。